発達障害なんて意味不明
なんてタイトルなんだろう!
なんて乱暴なんだろう!
そう思われても仕方ない。
今日の記事は
☑️発達障害の人と関わることがある
☑️発達障害の世界を理解したい
☑️なんでも理解したつもりになっている人
などに向けたものになってると思う。
私自身もADHDとASD混合型と診断された。
だから何ということもない。。。
だから同じような人が理解できる、、、わけがない!!
なわけねーじゃあああん!
わかっかんねーよ!
おっと、、、取り乱してしまいましたね。
私自身放課後デイサービスで作業療法士として働いています。
そこで出会う人たちは「意味不明」なのです!
意味不明な世界に皆さんをお招きし、意味不明なことに対する耐性を上げ、意味不明だぁぁー!と共に嘆いで楽しんでいきたいと思います。
なぜ意味不明なのか
私たちはどう頑張っても他人の体験や経験を理解できません。
自分と同じような事象を経験した人がいたとしても必ずその体験の仕方は違います。
あなたに見えている🍎が隣の人と同じ🍎とは限りません。
ある人はリンゴを見て、アインシュタインを思い出すかもしれない。ある人は家族団欒でリンゴを食べたあの日の夜を思い出すかもしれない。
思い出した事柄、付随する記憶で赤の感じ方や存在の仕方が変わりますよね。
発達障害の方に関わっていて思うのは、もしかしたらもっと既成概念を飛び越えて世界を見ているかもしれないぞ?ということ。
脳の話
ジルボルトテイラーという脳卒中を発症した脳科学の話を知っていますか?
脳卒中の影響により、一時的に左脳の機能が低下したり、回復してきたりする過程でどのように世界が見えたのかを面白く教えてくれています。
その中で左脳の機能が一時的に機能しなくなった際に、自分と他人の境や自分と周囲の境がなくなり、全てが一体となった感覚や安らかな意識に包まれる経験を話されていました。
次は「みんな水の中」横道誠 著 より引用
自身がASDとADHDと診断された大学教員で発達障害自助グループの文学研究者である著者の体験世界が書かれた1冊。
この本でこのような体験と医学的な結びつきをこのように考察されていた。
このように脳は入ってきた感覚を「そのまま」受け取らない。
入ってきた感覚に対して必ず解釈を加えて「知覚」するのです。
例えば、
大好きなあの子があなたをずっと見つめてウインクをした!
(あなたの鼻から鼻糞が出ているのを遠くから気づいてしまい、よーく見ようとしたら目が乾燥しただけかもしれない)
夏の砂浜で水着を着て歩いていると男たちが私に釘付け!
(水着についてるタグを外し忘れていてみんな言うか迷っているだけかもしれない)
これは知覚ですね
まーこれはあくまでちょっと大袈裟な例です。
もう少し細かな例でいうと、「お気に入りの毛布に触れる」という行為は触れた瞬間温かみやさすらぎという感じを味わうでしょう。
感覚そのものは、ポリエステル質の糸で縫われた部分が皮膚の表層に◯ニュートンで接触する、、というような悲しき事実が並ぶこととなる泣
このように人はその人の経験や脳内の個性によって様々な現実を作り出します。
それによって起こす行動も様々でしょう!
ラベリングしない!
だからこそ、ASDやADHDだからという1つの箱に放り投げてわかったつもりにならずに「なんでこんな反応するのかなー?こうかなー?違うかなー?不思議だなー?」とその曖昧さや理解出来なさを楽しむことは大事なのでは?と思うわけですね。
わかるわけがないからこそ、色々考えてみるわけです。絶対わからないから想像してみるわけです。色々考えて試行錯誤する中で反応をみてみる。もしかしたら一瞬だけ「行為や反応」としてこちら側に歩み寄ってくれる時があるかもしれません。そんなことの繰り返しなんだろうなと。
私みたいなすぐ結果がほしい人間にとっては本当に苦しい作業です。しかし、彼らに「おい!何そんな焦ってんだよ 感じろよ 味わえよ とりあえず黙れよ 黙った上で会話しようぜ」と言われているような気がしました。
何かと意味を見出したい、納得したい、白黒付けたがる私にとっては、その無限の表現や内的世界を感じる行為は第三の選択肢に気づくサインが隠れているのかもしれない。
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