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思うことと始めることと続けること
今日は美大の文化祭にきた。
きっかけは軽音部をききたくて。
はじまりは小さなきっかけであり
そのきっかけが事を動かすkeyとなることは
未来の自分は全くわからない。
(きっかけの話はまた別で話したい笑)
今の私は、自分から獲得しに動かないと、なかなか美術系に触れることはない日常を過ごしている。
今回美大に来て
自分にとって、当たり前だと思って取り組んだことが誰かの目に触れてやっと、
それが誰かの心へ届くものだったりすることを思い出した。
私の中での美大は
ゴッホやピカソのような絵を描く人、彫刻を作る人、0から1を生み出す人の集まりかと思っていた。
今回足を運び、大学時代に芸術学部の友人の作品を見た時に思ったことを思い返すことで、
学問と同じように
美術も木の根のように数多に蔓延っている
ことにやっと気づいた。
まるで違うのだ。
それはそうだ、着目してみていなかったのだから。
きっと比較してみる機会が少ないからだ。
きっと描いてる人も自分が大枠でいうどのカテゴリーに属するのかを明示してないからだろう。
「モネの展示」はモネ、印象派しかない。
他のものがないのだ。
そうなると、素人の私なんか、
美術系への興味が毛が生えるほどしか持っていない私なんかは、
そういう大枠でしかみることができないのだ。
それはどんな分野でも、蓋を開けてみたら、そこには無数の枝があるということはわかりきっているはずなのに、それを何故だか忘れてしまう。
何故だろう。
きっと、それを考える暇もない程、日々色んなことに触れ、選択をし、次へ次への連続だからなのかなと思う。
と、また思考が遥か彼方へいってしまった笑
目の前の展示が誰かへ届いてる様を見て、やっぱり私も動かないと、って、駆られた。
思った。
思うことは簡単だ。
始めることは難しい。
特に、目的があって新しいことを始めた時はそれを習得するまでに苦悩がある。
私の場合は、映像を作り始めた。
とても、労力がかかる。
なんだこれ、
こんなにかけても、これっぽっちしかできないのか。
でも、美しい映像が流れてくる度に、
やっぱり私もこの世界を伝えたい。
と思うのだ。
その気持ちが何とか、一本目の動画を作り上げた。
そして、また、忙しさと仕事の悩みが降ってきた。
そうなると、心身の回復にしか時間を注ぎ込めない。
今回は人に頼るということで両方を解決できたが、別の悩みが出てきた。
1つ解決したら、またすぐに試練がくる、生じる。
頭の片隅には、映像がちらつく。
続けるということ、の難しさをひしひしと感じる。
こういう風に淘汰されていくのか。
続けられたものだけが、評価を得られる可能性へ繋がり、反応を貰える可能性へ近づき、伝えたかったことが伝えたかった人へ届く可能性へ手を伸ばす。
私は諦めたくない、続けるということを。