忘れられた風景【秘密保持】
たかしは、コピーライターとして独特の魅力を持つ男だ。彼は喋りは少ないが、その分言葉に鋭さが宿る。「言葉は短ければ短いほど、想像の余地を生む」という彼の信条は、多くの依頼者を魅了してきた。ある日、彼の元に地方自治体から依頼が舞い込む。内容は、東京にアンテナショップを開設し、地域の魅力を広めたいというものだった。
最初の打ち合わせは、東京の小さな会議室で行われた。自治体の担当者、観光課の課長、そしてマーケティングの専門家が揃い、たかしを迎えた。担当者が資料を開きながら、地域の特色やアンテナショップの狙いについて熱心に説明する。山々に囲まれ、豊かな自然資源を誇るその地域は、古くからの農産物や伝統工芸品が名物だという。しかし、人口減少とともに地元の活気が薄れ、都市部での認知度を高めるためにアンテナショップの開設が必要だと判断したという。
たかしは、相槌も打たずに彼らの話を黙って聞いていた。担当者たちは、説明の合間にたかしの反応をうかがうが、たかしはまるで石像のようにじっとしている。その姿は一見無表情だが、目の奥には鋭い光が宿っており、言葉を少しずつ内側に吸収していくのがわかる。
「ところで、これが重要なのですが…」と、観光課の課長が急に声を低くして話題を変えた。「このプロジェクトに関しては、すでに守秘義務契約をお願いしたいと考えています。」課長は慎重に言葉を選びながら続ける。「アンテナショップの位置や開業時期、それに商品の構成はまだ公表されておらず、予想外の競合が出ることを避けたいのです。」
たかしは静かに頷いた。コピーライターとしての仕事には、この「守秘義務」がつきものだ。彼は契約書を受け取り、項目に目を通す。契約には、たかしがこの案件に関わるすべての情報を第三者に漏らしてはならないと詳細に記されていた。たとえ親しい友人や家族にも、プロジェクトについて話すことは禁止されている。
守秘義務契約の厳格さには、たかしなりの信念がある。それは、言葉の重みを知る彼にとって「仕事の美学」に通じるものだった。情報の秘密を守り、必要な言葉だけを世に送り出す。彼は契約書にサインをし、無言で了承の意思を示した。
数週間が過ぎ、たかしはその地方の街を訪れることになった。自分の目でその地域の風土や人々の営みを見なければ、本質を突く言葉は生まれないからだ。彼は古びた町並みや山々、地元の市場で交わされる活気のある会話に耳を傾けた。彼の観察はとにかく丁寧だ。市場のおばあちゃんの笑顔、青年が見せる誇らしげな視線、土地の恵みを味わう観光客の反応。たかしはそのすべてを頭に刻み込み、無意識のうちに言葉を練り上げていった。
再び打ち合わせの場が持たれ、たかしは候補としていくつかのフレーズを提案する。「ふるさとの窓口」「やわらかな故郷」「日常のふるさと」…そのどれもが地域のイメージを捉えていたが、どれも「ピン」とは来ない。彼が求めているのは、もっと簡潔で、見る者の心をつかむ言葉だ。
数日後、たかしはあるフレーズを思いついた。「都会の、忘れもの」だ。この短いフレーズには、都市の真ん中にふるさとのぬくもりを持ち込むというアンテナショップのコンセプトが詰まっている。同時に、来店した人々にそれぞれの想い出や、ふるさとへの想いを想起させる力がある。言葉が短いからこそ、余白がある。たかしはその「余白」にこそ価値があると思った。
最終プレゼンの席で、たかしは「都会の、忘れもの」と書かれたシンプルなデザイン案を提示した。担当者たちは一瞬驚いた顔を見せたが、すぐにその言葉の温かみとシンプルさに感銘を受けた様子だった。マーケティングチームの一人が、「この短い言葉に、ふるさとの良さが凝縮されていますね」とつぶやいた。
プロジェクトは無事成功し、東京の街にアンテナショップ「都会の、忘れもの」が誕生した。店の入り口にはたかしの考えたそのフレーズが掲げられ、訪れる人々は「ここ」に自分のふるさとを重ねて店を楽しんだ。しかし、たかしがこのプロジェクトに関わっていたことは、誰も知らない。守秘義務があるからだ。
たかしは、自分の言葉が表に出て、ささやかながら誰かの心に届くことに満足していた。彼にとっては、それだけで十分だったのだ。