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双極症 狂人日記⑤

腹から突き上げてるモヤモヤとした苛々とした何とも言い難い強烈な不安を何とか残された気力で抑え込んでいた。

私はおそらくいずれコレに負けて死を選んでしまう。
既に確信していた。

夕食を作ることができず、毎日子供達にコンビニの冷やし中華を食べさせていた。
夫に下の子の保育園の送りをしてもらい、子供達をお風呂に入れるのが何故かしんどく、数日に一回にした。
上の子の宿題の丸付けも出来ず、さぞ放置子の様に思われていただろう。

夫の海外出張中は、仲の悪かった実母に不本意ながらも遠方から来てもらい、家事や子供の送り迎えをしてもらった。(母に金は払った!)
早朝に行うヨガ(アシュタンガヨガなのでマイソール)だけは行けた。

その状態が数カ月ほど続き、主治医がある薬に変更し、たちまち死にたい程の状態の悪さから脱却した。
しかし、家事のすべてを出来るわけではなく、掃除、料理は殆どできなかった。気分の波がかなり低いまま、安定していた。

月一の会社で行う産業医面談で復職可能という診断が下りた。
だが、この産業医はポンコツ過ぎて思い出すだけで腹が立ってしまう。
主治医は何て言ったか?処方されている薬を教えて。等、他人の判断を自分の判断にしていたのだ。じゃあ、お前、要らなくね?という話だ。
薬についても、これはこういう薬で・・・と既に知っている情報を鼻の穴を膨らませてドヤ顔で説明しだした。
流石に、自分の処方されている薬位、主治医が説明するし、薬局で説明文書も貰えるし、ネットに幾らだって落ちている情報だ。今更なにもありがたくない。

これは勝手な偏見だが、子育て中の医師が産業医ならまだしもそうでない人が産業医って・・・お察しである。
この医師は時間通りに来たこともないし・・・なめている。

とにかく、このアホな産業医のお蔭で復職することとなった。


復職の前にリハビリ出社をしましょう。(無給です。)
ということになり、準備をしていた。
何分で仕事場につけるか?等、電車にのって確認したりした。
また、上司のことは全く許していなかったが、今は大人しくして、正式な復職後に寝首をかこうと思っていた。

さぁ、復讐の始まりである。


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