少年(浅野浩二の小説)
少年
子供のころの思い出は、誰にとっても懐かしく、あまずっぱい、光と汗の実感でつくられた、ここちよい、肌が汗ばみだす初夏の日の思い出のようなものでしょうが、子供は、まだ未知なことでいっぱいで、あそびにせよ、けんかにせよ、大人のように制限がなく、やりたいことを、おもいっきり、発散できるからで、夢のような自由な世界がなつかしくなるからでしょう。
私が小学校六年の時、光子という一人の少女が、ひときわ、なつかしく、思い出されます。
彼女は、高校一年のひときわ、あかるく、かわいらしい子で、でもちょっとかわった性格があり、それは今思うと、性にめざめはじめた思春期のせいか、それとも彼女がもつ特別な性格のせいだったのか、それは、今でもわかりませんが、彼女は今でも私の思い出のひきだしの中に、みずみずしく、なつかしく、生きていて、できることなら、もう一度、あのころにもどりたいくらいです。
しかし、それは現実にはできないことですが、何とか彼女が生きた、みずみずしい美しさを書いておきたくて、書くことは好きなので、書くことで彼女を再現してみようと思いました。
私は小学校を東京から少し離れた公団住宅で過ごし、団地の中の小学校へ通っていたのですが、そこに、はなわ信一という、色白のおとなしい子がいました。彼は別の学校から転校してきた子で、友達をつくろうともせず、いつもポケットに手をつっこんで、壁にもたれて観察するような目でクラスの様子をみている子でした。
私も、元々、友達づきあいがにが手で、彼に同類の親近感のようなものを感じて、どちらからということもなく、彼と親しく、つきあうようになりました。
クラスには叶という、ふとってて、何事につけてもノロくて、友達にからかわれていた子がいました。信一は、ちょっとへそまがりの、なまいきで、私には、それが、彼の魅力でもあったのですが、ある時、叶をからかっている連中をうしろからいきなり、けっとばしたことがありました。彼らはギョっと、おどろいて、体も小さく、たいして力もなさそうな、いつもは、おとなしい信一の暴挙をきみわるがってか、すごすごと、その場を去って行きました。
以前、信一は、オレのオヤジはXX組のヤクザの幹部だぞ、などと言ったこともあります。助けられた叶は、すがるように信一にお礼を言って、ペコペコ頭をさげ、それ以来、信一を、おやぶん、おやぶん、と言って、したうようになりましたが、信一は、フン。お前なんかを助けるためじゃないよ、何となく、気にくわないヤツをけりたくなったから、けっただけさ、などといいました。
ある時、学校のかえりに、私は信一にさそわれて、叶といっしょに信一の家に行きました。信一の実母は三年前に交通事故で死んでしまい、一周忌がすむと、彼の父は、ある未亡人と再婚していました。義母には、光子という高校一年になる元気な子がいました。
信一と私と叶が光子のPHSのゲームで遊んでいると、光子が、入ってきて、
「信ちゃん。私のものにさわらないでよ。」
とおこって言います。信一は、キッとなり、
「ふんだ。ねえさんのけちんぼ。」
といって、近くにあった、ぬいぐるみを光子になげつけましたが、光子はそれをスッとかわすと、フンと言って、部屋を出て行きました。信一は、あいつ、なまいきだから毎日、うんといじめてやるんだ、と、本当か、まけおしみか、わからないことをいいます。それからだんだん、私と叶は信一の家にあそびに行くようになりました。
光子はいつも窓ぎわでCDをききながら少女マンガを読んでいました。ある時、信一はきつねごっこをやろうよ、といいだしました。きつねごっことは、人間に化けて、人をからかうキツネをさむらいが、その正体をみやぶって、こらしめる、というものでした。光子がキツネで、私と叶が、だまされ役、信一が、さむらい、といいます。
よこできいていた光子は、面白いと思ったのか、よし、やろう、やろう、と言って腰をあげました。光子は台所からクッキーと紅茶をもってくると、おかしを足でグチャグチャにして、紅茶に、つばをいれます。それを私と叶は、だまされたふりをして、おいしい、おいしい、といって、のむと、光子も、おもしろくなってきたのか、だんだん図にのってきます。
光子の魔法の笛にあわせて私と叶がおどって、よっぱらって頭をぶつけて、ころんだり、ねたふりをすると、光子がかまわず、ふんでいきます。もう光子は、おもしろくなって、遠慮なく、体重を全部のせて、笑いながら、ギューギューと踏み歩いて、ああ、つかれた一休みしよう、と言って、ドンと重たいおしりをおろしたりします。そこへ、さむらい役の信一がおもむろに登場します。やい。このワルギツネめ。人に化けて、人間をからかう、とは、何てやつ。ふんじばってくれるからかくごしろ。信一は私と叶をうながして、光子をとりおさえようとしますが、光子はオテンバの本性をあらわし、
「ふん。ばれたら、仕方がないね。あばよ。お前らみたいなトウヘンボクにつかまってたまるもんかい。」
といって、にげようとします。が、光子は高校一年、私たちは小学校六年で、四つの年の差は、さすがに、光子を容易につかまえさせません。
それでも、こちらは三人なので、又、光子にもキツネごっこのストーリーに従わなくては、という意識があってか、ようやくのこと、とりおさえて、ねじふせます。信一が用意していたらしい縄で、光子の手をうしろでしばりあげようとすると、
「あら信ちゃん。むちゃしちゃいやだよ。」
といいますが、さすがに三対一には、かなわず、光子を柱にくくりつけ、ハンカチで、さるぐつわをすると、はじめは、もがいていた光子も、グッタリして目をとじ、カンネンしたらしく。私たちは、やあ、やあ、よくもだましてくれたな、ふとどきなキツネめ。といって、体や顔のあちこちをつねったり、くすぐったり、化粧といって顔にツバをぬったり、さっき光子がしたように、体をふんだりします。オテンバで、年も上の光子なので、もっと抵抗しようとするかと、思っていたのですが、不思議なほどに、光子は、おとなしく、だまって横ずわりしています。
しばしたって、もう興がさめて、光子の縄とさるぐつわをとくと、光子はソッと顔を洗いに出ていきましたが、顔を洗って、もどってくると、
「ああ、ひどい目にあわされた。キツネごっこなんて、もう二度とやらないから。」
といいながらも、なぜかニコニコうれしそうな様子です。
私たちは自由になった光子が、おこって、仕返しをするのでは、と思いましたが、何事もまるでなかったかのような様子です。光子は窓際に行くと、CDをヘッドホンでききながらコミックを読み、私たちは、テレビゲームにと、元のように別々にあそびはじめました。そんなことがきっかけで私と叶は信一の家へ、足しげくあそびに行くようになりました。
ある時、私たちが、テレビゲームで遊んでいると、光子の方から、
「ねえキツネごっこをやらない。」
と、モジモジといい出したので、私はおどろきました。私は、光子が、この前やられた、しかえし、のため、だと思い、光子がキツネになって、ふざける度合い、が、だんだん強くなっていくのでは、と思いました。
しかし前半の光子のふざけの部分は、前より何か、かるくなったようで、何か形だけしているような感じで光子が、おもしろがっている様子は、ぜんぜん感じられません。今度は私たちが光子に、しかえしする番になりました。が、それでは、こちらも、しかえし、してやろう、という気持ち、も、おこってこず、何か、しらけぎみになっていると、光子は、
「さ、さあ、私は、人をダマしたワルギツネだよ。」
と、あそびのつづきを催促するようなことをいいます。しかし、その声はふるえていました。私たちは、光子をしばりあげ、この前と同じように柱につなぎとめ、めかくししました。しかし、たいして、からかわれていないので、光子に悪フザケをする気があまりおこらず、もてあましていました。すると光子は、
「さ、さあ、悪ギツネはおきゅうをすえられるんだろう、この前と同じように、やっておくれ。」
と声をふるわせながら言いました。
私たちは、しかたなく、鼻をつまんだり、ツバを顔にぬったり、顔をふんだり、スカートをあちこちから、めくって光子を困らせたりしました。すると、光子はだんだん呼吸をあらくして、切ない喘ぎ声をあげだしました。
私と叶は何か、きみわるくなって横でみていましたが、信一はあらゆるいじわるを躊躇なく楽しむことができる性格だったので、さかんにめかくしされた光子をいじめます。信一に手伝うよういわれて、私たちも光子の責めに加わりました。
はじめは、おそるおそるでしたが、しだいになれてくるにしたがって、おもしろくなり、光子の頬をピチャピチャたたいたり、足指で、鼻や耳をつまんでみたりしました。そのうち、キツネごっこは、後半の光子がせめられるだけのものになりました。光子は、さ、さあ、もう、どうとでもしておくれ、といって、ドンと私達の前に座りこんでしまいます。すると、信一はいろいろな方法で光子を困らせ、光子が悲鳴をあげて、本当に泣くまでせめるようになりました。
信一はいじわるするのが好きで、光子はその逆のようで、変な具合に相性が合うのです。でも、はじめのうちは、あそびがおわると、光子も、やりきれなそうな、不安げな顔つきでしたが、だんだん、なれるにつれて、この変なあそびがおわると、光子にすぐにいつもの明るい笑顔がもどって、信一を、
「こいつ。」
といって、コツンとたたいたりするようになりました。不思議なことに光子は、いじめられてばかり、いるのに、私たちがくる日には、手をかけて、たのしそうにチーズケーキなんかをつくって、まっててくれるのです。その後、信一と光子がどうなったか、それは知りません。
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