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神社で「唱え言葉」を唱えてみたら、苦手な人の見え方が変わってきた話

神社にお参りしたとき「唱え言葉」を唱える。

祓(はら)え給(たま)い
清め給(たま)え
神(かむ)ながら守り給(たま)い
幸(さきわ)え給(たま)え

お祓いください
お清めください
神さまのお力により、お守りください
幸せにしてください

1年前にはじめた神社への朝散歩。神社へ行くのは、信心深いからというわけではない。散歩する距離として、ちょうどよかったから。

3か月ほどして、賽銭箱の上に「唱え言葉」があるのに気づき、“とりあえず”唱えてみることにした。唱えることで、何が変わるのか実験してみたい。軽い気持ちで始めてみた。

“とりあえず”を1か月ほど続けると、変化が訪れた。

宝くじが当たった、運命の人に出会ったとかいうわけではなく、「お祓いください」とは、一体何を祓っているのだろうか、という素朴な疑問が頭から離れなくなったのだ。

一般的にお祓いといえば、「身に付いた厄や穢れを祓う」という意味だとは知っている。でも、しっくりこない。

いろいろ考えた挙句、

「自分とその他との境界」

なのではないかと思った。

不思議なことに、神社へ行くと、何かとつながっている感覚が強くなる。家族、友人、自然、過去。これはユングの言う集合的無意識なのか…。

一応断っておくと、わたしはスピリチュアルのことはよくわからないし、興味を持ったこともない。

でも、なぜか“つながり”を感じる。すると、苦手なあの人や理解しがたいあの人のことばも「まぁ、そういう考えもあるのかもしれないな」「見方を変えれば、違う真実がみえてくるのかもしれないなあ」と思う。

賛同するわけでもなく、否定するわけでもなく。

その人たちにも、わたしと同じように大切にしている想いや正義があって、それぞれ一生懸命生きているんだよなぁ。


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