固定観念の殻が割れて奴隷が解放された話
最近「あるべき」「しないといけない」「ねばならない」を口にすることがなくなりました。たとえば「もらったメールにはすぐに返事をすべき」でなくても話は進みますし、目標達成のために必ずしも「一段と努力せねばならない」というわけでもないと学んでいます。
わたくしは固定観念の奴隷でした
在職中は「上司に命令されたらハイといわなければいけない」「職場で飲みに行ったら目上の人にはお酌して、率先して場を盛り上げねばならない」「自分の仕事が終わっても帰らないで人の手伝いをするべき」などなど考えていました。上司のほうが視野が広いし経験もあるから、従っておけば大きな間違いはありませんし、飲み会で仕事以外の顔を見せると親近感が湧く、人のために動けば自分が困ったときにはお返ししてもらえると良いこともあるので、「あるべき」もまるっきり悪いものでもないです。でも知らず知らず「何事もそつなくこなすのが社会人としてのあるべき姿」という固定観念に囚われていました。固定観念の奴隷です。とはいえ、そつなく何事もできるほど器用な人間ではないので、40歳くらいの時にどんづまり、そこから漂流の日々が始まったのでありました。(学校時代からの刷り込みもあるでしょうから、全部、会社生活のせいにするわけでもないです)
退職して奴隷から解放されました
退職後は「固定観念は悪」ということをいろいろ経験しました。ハローワークに雇用保険の失業手当給付に申請に初めて行ったとき、職員の説明を聞いて「雇用保険は俺の給料から出ているんだから、こういうときに返してもらわないと損じゃないか」と給付を堂々と申請したこと、ファイナンシャルプランナーの上級資格の試験に不合格だったとき「上級資格がなければ商売できないというわけではない」と大らかに構えて事務所を立ち上げたこと、キャリアコンサルタント試験の不合格の通知が来たとき「一発で合格しなければモノにならないというはなしではない」と次に気持ちを切り替えられたことなどなど。
自分が、固定観念の奴隷だったころのビフォアアフターを綴ってみました。今は自分の主人は自分です。