【映画感想・雑感】私を忘れてなくてよかった - 「バーナデット ママは行方不明」
「わかる」人と「そうなんだ」の人がいる世界があると思う。
ものを創り出さないと死んじゃう人がこの世にはいる。
私はそれがフィクションでも誇張でもなく事実だと知っている側だ。
なぜなら私がそうだから。
大なり小なりは人によりあると思うけれど。
「バーナデット ママは行方不明」を観た。
お気に入りの映画館、サールナートホール静岡シネ・ギャラリーの、宣伝で知った映画だ。
全部放棄して南極に行きたくなる人かもしれない。
自分のことを直感的にそう思って、この映画を観ることを決めた。
日々のありふれた抑圧から、南極の大自然に触れて人生転換!
そういう映画をイメージしていた。
だけど鑑賞しながら、「いや、違うな?」とするする、先入観の糸がほどけていった。
そうして半ばから再構成されてきたのが、先の「『わかる』人と『わからない』人がいると思う」の感想だ。
実際に本作は広い共感を集めているというから、そこが製作陣の妙であり、ケイト・ブランシェットの妙であり、原作小説の妙なのだろう。
サールナートホールの発信で観に行ったので、そこに異を唱えるつもりは全くない。毎月の上映ラインナップから紹介の仕方から、素晴らしい映画館である。
ただ、私が追加の発見をしたから、これも誰かの鑑賞のお供に添えてもらえるのではないかと思う。
実際これは、ひとりの狂ったクリエイターの、破壊と創造肯定物語である。
このキワさで宣伝したらやっぱり刺さる人が減っちゃうんだろうか。
だけど逆に深く刺さる人もいるんじゃないかな。
私は結果的に、今この作品を観られて嬉しい。
バーナデット(ケイト・ブランシェット)、めちゃくちゃであった。
めちゃくちゃママを笑う気持ちで行くと、めちゃくちゃの中にある小さな幸福で、万人の共感も得るのかもしれません。
原作日本語版はこちら。
Kindle原書だとアホ安かったのでセリフ等の引用は原書を参照。
https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/B007TH3CHU?storeType=ebooks
1.クリエイターはだいたい社会の厄介者
バーナデットは、かつて謎の新星と呼ばれた、稀代の建築家である。
優れた創造性を持つアメリカ居住者に与えられる、マッカーサー賞を受賞した。俗に天才賞。
そこからふと引退して主婦になった。
この時点でだいぶ普通の主婦ではない。
彼女はアーティストである。
芸術家は変なやつとはどこでも言うものである。
たとえば太宰治。
自殺企図しすぎて、wikipediaに「太宰治と自殺」とかいう凄いタイトルの記事まで用意されている。
ゴッホも有名だ。
街に馴染めず、耳を切り落として人に送った。
統合失調が疑われていたらしい。
現代人でも全然様子は変わらない。
もうちょっとかわいい話だが、漫画家・安野モヨコの『監督不行届』では、夫であるカントクくん・すなわちアニメ界の大巨匠、「エヴァ」の庵野秀明の奇行の数々が楽しく綴られている。
バーナデットは、要するにそういう生き物である。
建築オタクで、街の設計の悪さについて喋り始めたら止まらない。
過去の失敗に責め立てられ、被害妄想を抱くようになる。
クリエイティブを辞めるとやがて死にたくなる。
ぶっちゃけ、共感できるかというと全然できない。
おそらく普通はそうである。
おそらく、とここに付くのは、私がある程度「わかってしまう」からである。
私はオタクである。
「まあでも私くらいのオタクってゴロゴロいるしな」と自覚なく新卒で入った会社では、自分が育ってきた自由な土壌と常識が違いすぎて一瞬で病んだ。
重度の鬱と診断されたときには、周りをすぐに口撃する状態になっていた。
休むべき土日にめちゃくちゃ小説を書いてイベントで売った。それだけが生きるよすがだった。
やがて、私の鬱はweb関連のクリエイティブ企業に転職することで落ち着いた。
アーティスト、と自分を称するのは微妙に落ち着かないから、クリエイターにしておこう。
私は途中から、「いやこの映画そんなにみんな南極に行きたくて観るんか? 私みたいなの向けだろ」と思っていた。
過去の私へ。南極に行きたくて観にきたのはお前だ。
もしかして全部投げ出して南極に行きたくなる人ってクリエイターである確率高い?
邪推はともかくとして。
バーナデットは「社会の厄介者を辞めたいの」と話す。
原文では「社会の厄介者」は“manace to society”、もはや「害」のニュアンスに近い。
すみません。
私は巨匠に比べれば甘いものだが、あまりに才気ある人の感性は、尖りすぎてその先端で周りを傷つけるのだ。
正直、バーナデットの夫に同情した鑑賞者も多いのではないかと思う。
バーナデットの夫・エルジーはマイクロソフトに勤めている。しっかり責任感があり、最新技術のプロジェクト主任でめちゃくちゃ立派だ。
しかしバーナデットはあまりの主婦不適合で、エルジーを振り回す。
愛娘のビーも家で過ごしてくれないエルジーにはだいぶ冷たい。
ちょっとパパ流石に可哀想では……と何回か思った。弁解のようだが私は大企業に勤めている人のことをその頭脳や努力で普通に尊敬している。
バーナデットの恩師、ジェリネクはそんなバーナデットを諭す。
「君みたいなのは、創るしかない(you must create)」。
エルジーが手配した医者も薬も、バーナデットは拒否した。
恩師の言葉が、唯一彼女の胸に届いた処方箋だった。
2.バラクリシュナ-破壊と創造の神話
そもそもなぜ、それほどまでに尖った彼女が、建築家を辞めて主婦をやっているのか?
その答えは複数ある。
一つは彼女の仕事の崩壊。
彼女はかつて、「20マイルの家(Twenty Mile House)」と呼ばれる芸術的な建築を作っていた。
その家は、建材を半径20マイルに収まる地産地消で用意したという、環境に配慮した新時代の気鋭の作品だ。
しかしその家は、その土地を駐車場にしたい資本家によって取り壊された。
バーナデットは彼に家を売ったことを悔い、また幾度もフラッシュバックするトラウマを持ってしまった。
もう一つは娘の存在。
病弱で、心臓に疾患を抱えて生まれてきた娘を、バーナデットは「バラクリシュナ」と呼んだ。
インド神話の、知性を司る神の一柱だ。
青白い肌に優しげな顔立ちが、バーナデットに娘をそう呼ばせた。
バーナデットは願う。
「この子が生きていてくれるなら、奇跡を十六回分捧げてもいい」
十六回の奇跡とは、バーナデットと同じ綴りのキリスト教の聖人・聖ベルナデッタに由来する。
聖ベルナデッタは、生きているうちに十八回、神の奇跡を見たとされる。
天才であったバーナデットは、建築界で既に二度、奇跡を起こしたと言われていた。
残りの十六回、つまりキャリアを投げ捨てても、娘に尽くすと決めたのだ。
これらは一つの言葉で繋がりあう。
破壊と創造。
インド神話において、世界は神による破壊と創造を繰り返しているとされる。
バーナデットはまるでその世界観に取り込まれたかのように、キャリアを破壊し、新たな生を創造しようとする。
しかしその努力がなかなか実を結ばない。
3.歩き出すとき、人はもう光っているのなら嬉しい
そんな彼女が南極に行く。
この映画はそれを主題にしている。
南極に行くのは、サイトや予告映像で想像するほど、バーナデットの突然の選択ではない。
バーナデットは娘のビーに要求されて、最初、家族三人での南極旅行を計画している。
しかし彼女の極度の精神不安定から、夫が病院に居残ることを薦めるのだ。
それを嫌がったバーナデットは窓を飛び出して、一人で南極に向かう。
どこか遠い場所、拒否されようがない場所、自分をクリアにできる場所。
それでいて彼女は、家族から逃げたわけではなく、家族を愛していた。
家族と旅行に行きたかったからこそ、南極を選択したのだ。
後の日程でやってくるビーたちが合流できるように──少なくとも娘のビーはそう考察する。
だが、南極で彼女は、南極点にある基地を取り壊すという噂を耳にしてしまう。
「南極点にピッタリの基地を作る」という使命を発見してしまった彼女は、もう合流を考えているようには見えない。
「創らなければならない」。
彼女は足掻いて足掻いて、その地点にようやく到達した。
そしてそれこそが、映画の家族三人を再度結び合わせる。
原作は、ビーが主人公の冒険小説風味をしている。
だから、南極基地にいるママを発見するのはビー一人だ。
けれど、映画ではエルジーとビーが二人でバーナデットを見つけ出す。
どちらの表現でも変わらない。
その時、バーナデットは活き活きと輝いて見える。
その輝く彼女を、見つけ出した家族は嬉しく思う。誇りに思う。
彼女を再起させたのは、カウンセリングでも薬でもなかった。
彼女にとって必要だったのは、彼女の道を見つけることだけだった。
これはとても特殊な事例だと思う。人は一般に医者に行ったほうがいいし、主治医や薬剤師の言うことは聞く。
けれど、人が輝けないとき、本当の理由は身体の不調ではなくて、人生の選択にあることは当たり前にあるだろう。
私がかつてそうだったように。
余談だが、私はついこの一週間ほどで、大学院に行こうという決断を固めた。
将来的にクリエイティブに関わるための選択である。
それこそ突然だった。不調に押されて南極に駆け込んだバーナデットのように。
一週間でプレゼン資料を作り、親と親戚と恩師に連絡した。
その時、私は社会人からまた学生に戻るという選択に、確実に活き活きしていた。
まだ上手くいくかは分からない。バーナデットの南極基地が、作中では完成しないように。
(映画のエンドロールでは、彼女が描いたに違いない基地の建築風景が、夢を持って映される。)
バーナデットも家族に連絡するとき、結果がどうなるかは答えを保留していた。天才の彼女も既に何度も挫折を経験しているから。
それでも、バーナデットは一つだけ約束をする。
前に進み続けること。
この選択をした時にこの映画に出会えたことは、私にとって、優しく背中を押してもらう体験だった。
記事タイトルの、「私を忘れてなくてよかった」とは、私が投稿した、一番最初のnoteの記事に紐づいている。
忘れてないからな。過去に大事にしてもらったことや、教えてもらった私の武器を。
暗闇の中を彷徨うような時間が私にも時々訪れるが、私はそれを、自ら迎え撃ちたい。
私を忘れてなくてよかった。
自分語りだが、バーナデットには分かってもらえるはずである。
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