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【#かなえたい夢】それでも、やっぱり書きたい。
最近、改めて強く思い直したことがある。
「小説家になりたい。」
ずっと燃え尽きそうになっていた火が、もう一度強く燃え上がった。
本格的に小説家を目指し始めたのは、今から7年前。小学3年生の頃だった。
確か、物語を書く授業があって、自分のペンネームを持ったことで火がついたんだっけ。
元々はマンガ家になりたかったのだけど、イラストが上手く描けず断念。そこで、文章だけで物語が書ける小説家を知った。
最初はミステリー作家を目指していた。だけど、まず最初は色々書いてみようと思って、ミステリーだけでなく、ファンタジーや現代ドラマ、恋愛など……拙いながらも、たくさん書いてきた。
中学生になると、小説をインターネット上に投稿し始めた。
自分で物語やキャラクターを考えるのは楽しかった。特に、書きたいシーンや書きたいセリフが、物語や作品のテーマと絡まることができたとき。
もちろん、苦労もたくさんした。コンテストの締切に間に合いそうになくて焦ったり、先の展開が思いつかなくて頭を抱えたり、予定していた展開と違う方向に進んでしまったり、伏線を回収し忘れたり……
「上手くいかない」と泣きそうになりながらも、諦めそうになりながらも、ひたすら書き続けたことだってあった。
そう、苦労すること含めて楽しいんだよね。
小学生の頃から、将来の夢は「〇〇と小説家」だった。
小説だけじゃ食べていくのは難しいから、もう1つ別の職業で働こうと思っていた。もう1つ別の職業である”〇〇”は、医者だったり、経営者だったり、1つに決まったことはなかったのだけど、”小説家”だけは比例定数の如く決まっていた。
長年、小説家になりたいと思っていた。
そんな私だが、最近はすっかり書かなくなってしまっていた。
高校受験が終わった後に、長めの小説を書いて疲れてしまったから?
自分の小説について、読んでいないであろう人に批判されて少し落ち込んでしまったから?
まだ慣れない高校生活に忙しく、書く時間が取れなくなってしまったから?
読書離れしてしまったから?
原因は自分でもよく分からない。ズルズルと惰性で何か文章を書きながらも、新しい小説が書けている実感は無かった。
始まったばかりの高校生活には、いくら走っても追いつけなかった。
授業は風のように過ぎ去っては、私を置き去りにしてしまう。
家で勉強しようにも、分からないから解けない。
そんな中、早くも進路を決めていかないといけない。
小説家には独学でもなれる。
そう考えていた私は、”もう1つ別の職業”——未だ決まってはいないのだけど——を目指せる大学に行くつもりだった。
だけど、結局”もう1つ別の職業”は見つからず、将来のことは小説家にシフト。文学部のある大学に進もうと思った。
ある入試に特化した科に所属する私。授業にもなんとか追いついて、成績も上げていって、科のカリキュラムをこなして、無事に進学する……
小説家を目指して頑張っているつもりだった。
でも、時々。
私は、ふとあることを考えてしまうのだった。
別に、高校生の勉強に、科のカリキュラムに取り組むことに、小説が書けることは求められていないよね。関係無いよね。
私のやってることって、所詮”遊び”だよね。私は単なる遊びのつもりでは無いけれど、それでも小説投稿ってSNSで遊んでいるだけだよね。勉強じゃないよね。
それからは、もうぐるぐるだった。
小説を書こうとしても、小説やマンガを読んでいても、「こんなことやってるくらいなら、勉強しなきゃ。勉強しなきゃ」と焦燥感に頭を悩ませる。
正直、マンガを読んでいる時は、特に辛い。小学生の頃、”学校にマンガを持ってきてはいけない”というルールをすっかり忘れて、マンガを持ってきてしまった日のことが未だに忘れられない。怒られた時、「マンガを読むのはいけないこと」なんて感じてしまったのが、本当に間違いだった。
小説を書くなんて、勉強が忙しい高校生のやることではないんじゃないか。
小説書いている暇があるなら、小説やマンガを読んでいる暇があるなら、勉強して授業に追いつけるようにした方が良いんじゃないか。
最近、赤点を取り続けているんだ。平均点未満ばっかりなんだ。
それに、高校2年生にもなれば寝る間もないほど忙しくなる。勉強すらもままならない日が来る。小説を書いている暇なんて当然無い。どちらにせよ、小説を書けるのは今年で最後だ。でも、最後だからって小説を書いてる場合じゃない……。
「頭の良いクラス」って言われていたのに、「みんなで勉強頑張って、偏差値上げよう!」「たくさんの人に学校に来てもらおう」って言っていたのに。
それなのに……
なんで
小説が書きたい
って思うんだろう。
そういえば、高校に入学したばかりの頃。
授業で「マズローの五段階欲求」を習った。
『SNSは”社会的欲求”と”承認欲求”を満たすもの』というようなことを教わった。
でも、当時の私は「そうとも限らない」って思った。
だって、当時の私にとって、SNS(=小説投稿)は社会的欲求を満たすものでも、承認欲求を満たすものでもない気がしたから。どちらかといえば……
”自己実現”に近かった。
それからだいぶ時間が経った頃だった。
人間関係や友達の在り方について悩むことが多かった私だが、優しくて気の合う友達に恵まれた。
火がついたのは、そんなたくさんの友達がきっかけだった。
ある日、私は昔に書いた小説を友達に見せた。1万字にも満たない短編小説。
部活でシナリオライターを希望していた私。「理都ちゃんのシナリオが読みたい」と言ってくれた友達がいたからだった。私はこういう小説を書いているよ、という簡単な紹介のつもりだった。
だけど、友達は最後までそれを読んでくれた。さらに「面白かった」と。
久々に聞いたその一言。それが私にとっては、すごく嬉しかった。
インターネット上の小説をわざわざ読みにいってくれた。
「面白かった」
「楽しみにしてる」
「頑張って」
「完成したら読ませて欲しい」
相関関係図を見せたら、「すごい!」と言ってくれた。
嬉しかった。
読んでくれる人がいるんだって、応援してくれる人がいるんだって。
もう一度、小説を書こうって。
何気ない友達との会話だったかもしれない。
でも、そのおかげで、私は小説に対して前向きになれた気がした。
小説を書くことは、勉強とは関係無いかもしれない。
「ただの遊びだ」って言う人もいるかもしれない。
自分の小説なんて他人に見せない方が良い、って思う人もいるかもしれない。
でも、私にとっては本当に好きなことなんだ。やっぱり書きたいんだ、書いていたいんだ。将来の職業にしたいくらい。
好きなことを職業にしたら、職業と向き合い続けることになって、大変な思いをするかもしれない。でも、きっと大丈夫。好きなことだからこそ、続けていける気がする。
職業にするなら、専門学校で小説を学んでも良いかもしれない。
SNSは、私にとって作品を発表する場だった。舞台でいう、ステージ上みたいな。
きっと、間違ってなかったんだ。あの日、勇気を出して小説投稿サイトに会員登録したこと。
「友達に見せれないような小説を書いてるようじゃ、小説家にはなれない!」
きっと、小説家を目指したいと思うのも、間違ったことじゃなかった。
小説家を目指している友達はなかなかいなかった。けど、今まで1人でも出会ってきたじゃないか。小説を書くのが好きな友達に。
「自分も小説を書いてみたよ」って読ませてくれた友達だって。
それは今も、たくさん傍にいる。
読んでくれる人がいる限り、そこに書く理由がある限り、私は小説を書き続ける。
どれだけ大変な思いしたって、どれだけ辛い思いしたって、書き続けて……
本気で小説家になってやる!
もちろん私はまだまだ未熟で、小説で良い評価をたくさんもらって注目を浴びたとか、大きなコンテストで受賞したとか、小説家デビューしたことがあるとかは、全然無い。最高傑作もまだ書けてないし、自信作もまだない。
そんななか、小説家を目指すのは難しいなんてもんじゃない。
この先、今まで以上に苦労するかもしれない。泣き明かす日が来るかもしれない。
それでも、”小説”という好きなことを突き詰めて、本気で小説家を目指してみせる。全力で書いてみせる。
そして、いつか、なってみせる。
「小説家になりたい。」
私が本当に燃え尽きてしまう。その日まで、絶対に諦めないから。