軽視してる部分が1番危なかったりする
こんにちはグランスです。
人は得意な部分・不得意な部分・そして可もなく不可もない部分で構成されていると思っている。
・優しいけど金銭管理が悪いとか
・口調は厳しいが仕事は出来るとか
・文才はあるが絵が描けないとか
様々あると思う。
例えば、絵が下手な人に絵をかいてと言って練習しても、もともと絵がうまくて、書きなれている人と比較した場合、どうしても劣ってしまう。それは仕方がない事だと思う。絵が下手だとうまくないという事は受容できると思うが、これが人間関係とか親子関係になると「それが普通だから」と人が離れても・嫌われても気づかない場合がある。
その逆もしかりで、お付き合いしてみたら嫌な部分が見えた、だがその事に関して勇気を出して伝えたが取り合ってもらえない、または「それが普通だろう」と言われ絶望する。
意外と、自分ではできてるよと無意識にしていることが実は一番危なかったりする。もちろん、受け手がひねくれていて、たまたまそうだったはあるにせよ、それが一人でない場合は、明らかに何かがおかしくてこじれている訳です。
それに何度大義をつけて、私は正しいと主張しても、人が離れていくのであれば、それは自分が悪かったんだなと受け止めるしかない。
でも、特に上下関係が発生すると「忖度」がつくので、当人は気づきにくい。立場的に下は上に逆らえませんから、我慢しつつ受け入れている。その状況変化に上は気づくわけもないので、関係は悪化し、我慢の限界を迎えるとそれが怒りや恨みに変わる。
私の父もたくさんの「忖度」を受け、周囲は我慢してきたが、ここに来て不満が爆発。退職者が出たり、中には両親を連れて直談判し「あなたのせいで娘がこうなった」と言ってきた人も居る。だが、父は頑なに悪くないという。
もう自分の悪い部分を本気で悪くないと信じているのか、ましてそれを認めた時の損害がでかすぎて、受け止めきれないから逃避しているのか?でも癖で人を攻撃しマウントを取ろうとする姿勢は変わっていない。
目に見えるものは気を付けるから、弱いと感じられるんだけれど、弱いと気づいてから少しでも成長が見られれば、人は離れる事をしないと思う。そこに気づいてからがスタートと言いますか。最高で完璧な人間はいないが、それでも見てる人は見てくれていて、弱い部分を直そうとしている人はかっこいいし、尊敬もできる。
一度、自分を俯瞰してみてどうかを考えてみてほしい。