ストレスの正体
多くの人がストレスを抱えて生きています
もちろん私も
昔は"ストレスが全くない"と思っていました
その場で出したり
八つ当たりで発散していたんでしょうね
最悪です。。。
でもこれ かなりの人がやってる
鑑定をしていて感じるのは
若い人の精神性の高さ
(たまたまそういう人と出会う機会が多いだけなのでしょうが)
大人の方が幼稚で子ども
家の子ども達もそうですが
幼稚な親の八つ当たりに屈しずに
成長してきた精神力は本当に凄いなぁと
感心するし尊敬する
(同時に申し訳なさと感謝の気持ちも)
自分が同じ年の頃は…と思い返すと
恥ずかしくなります
そして
私ももっと成長しよう!と思うのです
で、タイトルの【ストレスの正体】
意識の狭さに他ならない
よく言うところの
『相手の立場に立って考える』
って事が出来ない意識の狭さ
『自分の価値観』でしか考えられない
意識の狭さ
どんな事も自由選択/自由意思
自分も相手も自由に選択していい
それなのに自分の価値観に合わせようとする
合わせてくれないからストレス
自分が正しいと思うからストレス
相手を正したいのに正せないからストレス
など
言葉にすると
めっちゃ自分勝手で傲慢な考え方
【人はそう簡単には変わらない】
そう言われていた時代から
【人は自分自身で気付かないと変わらない】
と少しずつ全体意識が変わってきているとは思うけど
まだまだ
【自分の意識が変われば相手も変わる】
(全ての"相手"ではないけど。そこが難しい所)
そう考えて行動する人が少ないなぁと感じます
決して自分が我慢して合わせる
自己犠牲ではありません
自分が犠牲になって合わせるでもなく
相手を犠牲にして合わさせるでもなく
ただの我が儘でもエゴでもない
自分を愛して 相手を愛して
気付いたらお互いに成長している
そんな関係が作れるのが目覚めた意識です
自分に出来る小さなことから
意識を広げてみましょう
私の場合は
パートナーと出会う前は
外国人と自分が…なんて価値観は全くありませんでした
当時定期的に会っていた友人や知人が
何故か外国人推しで
半年近くに渡って外国人パートナーの魅力等を
聞き続けていました
そして『外国人良いよー!』と進めてくる
"何でみんな私に外国人を勧めてくるんだろ?"
そんな疑問と共に
"もしかして私にも外国人パートナーが出来るのか??"
そんな風に意識が広がった所に突然の出会い
本当にきた!?っていう驚きと
マジかーーー!!と面白くなってしまったことからスタートした感じでした
私の意識が広がっていなければ
出会ったとしても
交際したり結婚する事はなかったでしょう
(そもそも子ども5人もいるし再婚事態全く考えていなかったし)
目についてもエピソードが。。。
パートナーが私の顔を見て
『あなた目小さい なんで?』
と聞いてきたことがありました
『ディスってるのか!?』と
怒りの感情が沸々と……
すると『目小さい 可愛い 私好き』
って言うんです
今の風潮的に
『大きな目、パッチリ二重』=『可愛い』
そんな価値観が多く存在します
それ故、アイプチやプチ整形など
二重にしたいと思う人が多い(自己否定ですね)
トルコ人は殆どの人が大きな二重の目
目力強めの人が多い
(目力だけじゃなく我も強め?笑)
見慣れてるんだろうし
見飽きてるのかも?しれない
何にせよ、
あぁーそうかーーーと
私の意識が広がった瞬間でした
【意識を広げる】って
そんなに難しく考える必要なんてない
こうじゃなきゃいけない
こうしなきゃいけない
を、ほんの少し
あぁしてもいいし、こうしてもいい
って緩めるだけでもいい
それだけで抱えてるストレスが小さくなって
見落としてるものを見付けられる様になったら
最高じゃないかな??
それだけで小さな幸せに気付けて
幸福の中で生きてるって実感出来たら
最高じゃないかな?
私はそう思うのです
だから早く目覚めた意識で生きられる人が
1人でも多くなったらいいなーって
そんな風に思うのです
最後まで読んで下さって
ありがとうございます
ışık elma (イシュク.エルマ)