加賀屋 寛子

Kagaya Hiroko Japan/Japanese I should ove…

加賀屋 寛子

Kagaya Hiroko Japan/Japanese I should overcome diffculties. Please try to read my son+my observations 「泥の海を渡る」

最近の記事

泥の海を渡る㉜

眠れない日が続くようになった。 腫瘍が見つかってから2ヶ月。 体も心も疲れてきているのだろう。 仕事の合間にnoteに自分の思いを書きとめる。 自分のための休み時間かのかもしれない。 字を見ているだけで好き。 どんな成り立ちをしてこんな形になったのだろう。 由来は? 語源は? 字を見つめてくると心が落ち着いてくる。 数字もだ。 高校時代の模試。 ずっと因数分解をしていた。 終了時間が過ぎ来ても、だ。 肩を叩かれて、はっとした。 なので好きなことは 字を見ること。 数字を見

    • 泥の海を渡る㉑

      気になったこと、共感したいこと、 記入してます。 悲しい事、苦しい事、たくさんありました。 でも 自分で自分を大切にする毎日に していきたい。 海を渡る前に。 美容編。 お気に入り。 美容内服。 4時間おきのリポC。 シナール。 ユベラ。 ピドキサール。 ハイチオール。 美容塗薬。 ビタミンA。 ハイドロキシン。 塗薬は始めたばかりなので 経過報告中。 化粧品等はかかりつけ医に相談しながら 丁寧に肌を労わって浸透できるように。 髪もまた 丁寧にトイレで溶かして 炭酸

      • 泥の海を渡る㉚

        もう何十年来の幼馴染からじっと見つめられて言われた。 「あのさ、 今まで生きてきて いろんな事があったと思う。 学校を卒業して 1社会人になって 結婚して 母親になって。 無理に笑うな、とも言わない。 ただ 気になったことでさ、 ここ最近 好きになった事、者、事象、本、言葉、あった?」 はっとした私。 この2年間半、 ずっと泥の海を見ていた。 生きていく度に 辛くなる毎日。 どんどん冷たくなっていく海。 息が出来なくなる海。 でも そんな中にも 気になること 良いな

        • 泥の海を渡る㉙

          涙が止まらない日がある。 「私が全部、悪いの。本当にごめんなさい」 誰に何を謝って良いのかも分からない。 泣き疲れて寝てしまう時もある。 芝に寝転んでしまい救急車には運ばれた時。 過呼吸になってしまった時。 かかりつけ医に運ばれた時。 話を聞いてくれた。 今は もう 誰も 私の話は聞かなくなった。 周りには 楽しそうな電話の声。 画面に溢れる 楽しそうな返信の文字。 きっと 私の声は届かないのだろう。 期待しない。 いや。 発する事すら。 無駄。 もう。 止めよう

        泥の海を渡る㉜

          泥の海を渡る㉘

          これからの生活に向けて準備を進め始めた。 再診察、各検査の予約。 仕事の進め方。 家庭のこと。 医療保険のこと。 生命保険のこと。 母の事。 唯一の楽しみは 弟の大会を観戦することが嬉しかった。 これからの彼の将来を期待しながら 私もできる限りのことをして 彼の雄姿を観戦しよう。 きっと しばらくは会うことはできないかもしれないけれど。 しっかり目に焼き付けておこう。 でも 私が悪い。 それが一番だ。 何が悪かったんだろう。 一生懸命、仕事も子育ても介護もして 誰よりも笑

          泥の海を渡る㉘

          泥の海を渡る㉗

          目が覚めた時には、彼と同じ病院にいた。 何一つ変わらなかった。 いや、私も彼も変わらなかった。 療養してから職場復帰した。 良き妻でもなく 良い母でもなく 良い社会人でもなく 良い娘にもなれなかった、私。 生きている意味があるのか 分からない時もあった。 彼は少しずつ治療が効いている、と報告を受けた。 改善はしていても完治はしない。 前のようには戻らない。 待っているのは 退学届、役所への申請だけ。 帰宅して 家事へ向きおうとすると 涙が出てくる。 これからのことを

          泥の海を渡る㉗

          泥の海を渡る㉗

          「彼を返して」 「私が全部悪い」 「どうして」 人前で初めて頭を叩いた。 涙も声も止まらなかった。 ずっと我満していた。 1月からの長期入院。 毎日、願った。 いつか治る。 いつか元気になる。 「これ以上の改善は見られないかもしれません」 主治医からの言葉だけが残った。 私は 病院の中で大声をあげて 始めて泣いた。 ずっと 良い母 良き妻 良き社会人 良い娘でいた。 いろんな方に 「いつもお世話になっています。 よろしくお願いします。」 いつも頭を下げていた。 私の

          泥の海を渡る㉗

          泥の海を渡る㉖

          一時退院の土日。 髪を切り、お風呂に入ってから帰宅した。 「おかえり」 と彼に声をかける。 頷く彼の表情は少しだけ緩む。 固い表情なのは変わらない。 彼の日常生活を送るのは 鍵のかかった病室なのだから。 慣れる前に帰宅するのかもしれない。 それでも 一時帰宅が希望になって欲しかった。 そして 表情が少しだけ緩んだ時があった。 弟の入学式の姿、ユニフォーム姿、シュートが決まった試合動画を見た時。 喧嘩も多い兄弟だった。 彼の希望、嬉しさは弟なのかもしれない。 家族なのかも

          泥の海を渡る㉖

          泥の海を渡る㉕

          4月。 胸躍る学生達とすれ違う度に涙が出る。 彼も病気に出会わなければ高校3年生。 真面目で一生懸命、勉強も部活にも一生懸命だっただろう。 なんで? この頃から 夕方になると涙が止まらなくなっていった。 二人きりの食卓になると 「私のせいで病気になってしまった」 「本当にごめんなさい」 「誰に謝って良いのか分からない」 「息ができない」 泣きながら夢を見る毎日になった。 誰かに助けて欲しかった。 でも誰にも言えなった。 夜中に起きて自分の頭を叩く。 朝には 晴れやかな顔

          泥の海を渡る㉕

          泥の海を渡る㉒

          新しい年が明けた。

          泥の海を渡る㉒

          泥の海を渡る㉓

          13回忌を前日に控え 登校日の前日。

          泥の海を渡る㉓

          泥の海を渡る㉔

          入院する前日。 彼と二人きりになった。 自分の部屋で黙々と入院準備をする中 彼は泣いていた。 「自分も普通の高校生でいたかった」 「留年したくなかった」 「バスケットを続けたかった」 「みんなと同じように勉強したかった」 「大学にも行きたかった」 私は黙って彼の話を聞くことしかできなかった。 私のせいだ。 私が彼の人生を奪ってしまった。 声を殺して泣いた。 また 私は自分の頭を打ち付けることしかできなかった。 入院当日。 両親揃って診察室へ呼ばれた。 「入院したくない」

          泥の海を渡る㉔

          泥の海を渡る㉑

          退院して2週間後、とりあえず通学することになった。 出席日数の問題があったからだ。 「せめて1年生の単位だけでも取らせてあげたい。」 「無理なら早退しよう」 学校との面談で決まった。 私は頷くだけだった。 話し合いの場に参加することすらなかったから。 退院後 投薬のせいか 手足の強張りが強くなっていった。 箸を持つことができなかった。 筋力の低下。 自分で起き上がることもできなくなっていた。 靴を履くことも 服を着るのもやっとのように見えた。 トイレ後を覗くと 汚れているこ

          泥の海を渡る㉑

          泥の海を渡る~番外編~

          泥の海を渡る㉑を書き始める前に ご多忙の中、私の記事を読んで頂いている皆さんに 心から感謝申し上げます。 そしてnoteという記事を記事を書く機会に恵まれたこと 皆さんに読んで頂く機会を作って頂けた運営会社の皆様 本当にありがとうございます。 また こんなに私の記事を読んで頂いて フォローして頂いて スキの表示をして頂けたことを 嬉しく思います。 こんなに反響を頂けて 本当に恐縮しております。 読み返して見て 恥ずかしい内容であったり 稚拙な文章であったり なんとも言えない

          泥の海を渡る~番外編~

          泥の海を渡る⑳

          投薬ノート、彼の状態を見て すぐに緊急入院となった。 PCR検査、尿検査、採血をしてそのまま入院手続きへ。 保護入院となるので 両親のサインが必要となる。 何枚かの書類に記名をし そのまま帰宅した。 やっぱり 私が母親でなければよかった。 心の底から後悔した。 妻であることも 社会人であることも 全て 失格。 涙が止まらなった。 その日から 毎晩、夢を見た。 泥の海の中に足を一歩ずつ踏み入れていく自分。 腰までの高さになると目が覚めた。 息苦しさと驚き、悲しみで涙が出る。

          泥の海を渡る⑳

          泥の海を渡る⑲

          学校から帰宅した。 本人から連絡が来た。 良かった。 涙が出た。 こんな時、家で出迎えてあげれば良いのかもしれない。 でも仕事で叶わなかった。 私は彼が体調不良になってから 在宅勤務を増やしてもらった。 本当は介護、福祉の仕事で現場の皆さんと仕事がしたかった。 事務仕事は本当はあまり気持ちが進まなかったが 自分でできることをやる、 自分にしかできない仕事がある。 自分で納得させて過ごすようにした。 それに 良い妻 良い母親 良い社会人 になる。 私のような生き方をする職員

          泥の海を渡る⑲