泥の海を渡る㉗

「彼を返して」
「私が全部悪い」
「どうして」
人前で初めて頭を叩いた。
涙も声も止まらなかった。
ずっと我満していた。

1月からの長期入院。
毎日、願った。
いつか治る。
いつか元気になる。

「これ以上の改善は見られないかもしれません」
主治医からの言葉だけが残った。

私は
病院の中で大声をあげて
始めて泣いた。

ずっと
良い母
良き妻
良き社会人
良い娘でいた。
いろんな方に
「いつもお世話になっています。
よろしくお願いします。」
いつも頭を下げていた。

私の中で何かが壊れた。
激しく手で頭を打った。
壁にも頭を打ち付けた。
看護師の人からも押さえつけられても
涙と声が止まらなかった。

もう
できない。

その夜は
涙も出なかった。
もう頑張らない、と決めたから。

翌朝、
何もかも置いて
家を出た。
支払いが残っていた。

必死になって働いて節約した。
入院費、学費の支払い。
休学中でもあったので学費の支払いはずっと続いていた。
母親の介護。
家事。
育児。
仕事。

父との約束も十分も十分果たした。
もう許して欲しかった。

辛かった。
もう開放されたかった。
幸せになりたかった。

テーブルに何もかもおいて
家を出た。
残された人が困らないように
全て準備した。

外では祭りが近いせいか
楽しそうな声が響き渡っていた。
「お幸せに」
心から願った。

全ての支払いが終わって
公園に座り込んだ。

綺麗な芝が見えた。
綺麗な緑。
こんな景色を見たのも久しぶりだった。

もう頑張らばなくても良いんだ。
良き妻
良き母
良き社会人
良き娘に
なれかった。

きっと周りも分かっていたのだろう。

笑われるのには慣れていた。
必死に頑張っている姿も見られて
馬鹿にされることにも
慣れていたから。
恥ずかしい、悔しいとは思ったことはなかった。
父との約束を果たすため
13年間、必死に頑張った。

結局
何一つ出来なかった自分に
馬鹿だったなあ。
笑ってしまった。
何やってきたんだろう。
無様な自分の姿を見て
また笑いがこみあげてきた。

後悔は何もない。
やりきった。

本当に綺麗な芝だった。
少しずつ芝が霞んで見える。
ゆっくり目を閉じた。

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加賀屋  寛子
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