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定点観測【おちゃらけ王】
「私は真面目な人間だ。」
…………改めて自分で言って、これほどバカみたいな独り言がいまだかつてあっただろうか、という疑問に駆られる。
私個人の意見としては、「あってたまるか」というのが正直なところだが、どうも私に対する客観的な意見はこんな旨の評価が昔から多かった。
下の階層の、家族代わりの人々にも言われたし、この前はついにツカヤからも言われてしまった。
「…………ふう」
カンテラの弱い暖色の光に浮かべられた深海のような銀世界。スコップを手に、壁際に積もった雪山をザクザクと削る。
息が上がって、小屋の霜取りの手をいったん止めた。
三日に一度、壁面についた霜を削り落とす作業もかれこれ何年と続けているけど、重労働であることに変わりはない。ちょっと休憩だ。
こんな短調作業を続けているから、生まれた心の隙ではくだらないことを考えてしまう。
私はよく、人に真面目だと言われる。でも、正直私はそんな自分のレッテルが苦手だった。
だって、真面目ということはその裏を返せば、その他に目立った要素が無いということ。「つまらない」って言われているようなものじゃないか。
手持無沙汰になったスコップを、削ったシャーベットの中に突き立てる。ただ、あんまり力を入れすぎると、木材に石膏ボードと断熱材を詰めただけの壁は簡単に貫通してしまうため、適度に加減はする。
…………もしかして、これも「真面目」に含まれるのか?
でも、私から言わせてもらえば、私が真面目なんなら世の中の大半は真面目な人間で構築されていることになる。霜取りは時々さぼるし、基本的に自分の気が向いたことしかやりたがらないのだ。
そういえば、私がこの前数年ぶりに故郷に帰った時にこの本の話になった。「私は真面目じゃない」と最近よく頭によぎるのも、その時に友人に会ったのが原因だ。
「ライは昔から真面目だよね」
という問いに対して私は勿論「そんなわけないって」と返す。
「でも、流石にこの人たちほどじゃないでしょ?」
と、ジントニック片手に酔いの回った友人が持ち出してきたのがこの本だった。
確かに、というより流石に私はこの二人ほどではない。
文字通りおちゃらけた二人の主人公が町中の住民から祭りの日に追い回されるという内容のコメディといった内容なのだが、この二人のおちゃらけ具合はもう並大抵の尺度で測れるようなものではない。
もはや真面目とか不真面目とかいう範疇を逸脱していた。
私がそう言うと、友人は
「そういうところが真面目だって言ってんの」
と返されてしまった。
そこでその話は終わったわけだが、代わりにその時の会話はしばらくの間私の脳に禍根を残し、無為空虚な時間が訪れると白癬菌のように胸中に再発するようになってしまった。
私はこの二人やほかの登場人物のようにはふるまえない。それは分かっている。
でも、私だって夢に見ることはある。もしこの二人のように振舞えたら、さぞ楽しいだろう、と。
不思議なビルの地下に住んでみたい。
全速力で人のたくさんいる町中で鬼ごっこをしたい。
特別な能力を使って敵と戦いたい。
花火の玉に乗って夜空に打ちあがってみたい。
現実とファンタジーの狭間に存在する鳴鼓宮は私にある夢を与えた。
この冷凍庫のような世界では、そしてこんな私では実現することはできない。だけど、いつかはこんな世界でこんな理想を実現してみたい、と。
月並みな言葉で言えば、とても面白い小説だった。悲しい気持ちなんて一言も無い、ただずっと笑っていられるような物語だ。
もう一つ、私にとっては夢を抱かせる小説でもあった。
久々に帰省したせいだろうか。最近こんな虚無時間が訪れるとセンチメンタルな気分になってしまう。
振り払うように、もう一度スコップを持つ。