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暮らしの中に少しだけ不便さを取り入れる提案〜私たちの暮らしは便利すぎるから〜

私たちはお金について考える時、当たり前ですが「お金」のことについて考えています。

お金がない。
お金があったらいいな。
お金を増やしたい。
宝くじが当たったら。

といった願望のようなものから

いつまでに〇〇円貯める。
〇〇円資産運用で増やす。
老後2000万円必要。

といった具体的に目指す額の話

安いスーパーで買う。
ポイントを活用する。
格安スマホに変える。
ふるさと納税をする。

といった節約術の話まで

お金について考えることは良いことだと思いますし、人生を計画的に生きるためには長期的な視点でお金のことについて考えることはとても大切なことです。

一方で私はこうも思うのです。

お金はツールでしかない。

お金は流動性に優れたものです。共通的な価値の尺度になっているからこそ、さまざまなものと交換できる流動性の力がある。

それは、
日頃の買い物のようなモノやサービスとお金との交換

NISAのような金融商品とお金との交換

果ては税という憲法上の義務とお金との交換

お金はいろいろなものと交換できます。

でも、結局は交換、つまり流動性に優れたツールでしかありません。

そして、お金について我々が考える時、ついつい陥りがちなことは「お金ありき」で考えてしまい、自分たちの暮らしを考える視点が疎かになってしまうことだと思うのです。

お金はあった方がいいに決まってます。いろいろなものと交換できるツールであるお金を持っている方が、より多くのものが手に入るからです。

でも、この「お金があった方がいい」という視点は、多くのモノやサービスを手に入れて、消費することを前提にしています。

しかし、私は現代の暮らしが過剰な便利さの上に成り立っていないだろうかと思うのです。

お金について考える時、ついつい足し算で考える。
あれもしたいこれもしたいと暮らしに付け足す。

そして、その暮らしに対して今のお金の量が足りない、だから増やしたい。

でも、一回立ち止まって考えてみてほしいのです。

それが本当に必要かと。

例えば、今ガソリン価格が高いです。

これを自分の暮らしを変えることなくガソリンが高いと嘆いているのではなく、

近くのスーパーに買い物に行く時にたまには歩いてみる。

行きは軽くても帰りは買ったモノがあるから重いかもしれない。ちょっと不便かもしれない。

実際不便であることは間違いないと思います。

でも、私たちは昔の人たちが考えもしなかった便利さに囲まれて日々暮らしています。

これからは、私たちは少しこの「不便さ」を受け入れ、それを楽しむべき時代に来ているように思います。

車を例に出しましたが、ほかにもある日常当たり前と思っている便利さを少しだけ手放してみる。

そうすることで、便利であることのありがたみに気付くことができます。

不便さを知ることで自分にとっての譲れない便利さがわかる。

つまり、お金について考える前に自分たちの暮らしにまずは目を向けてみませんかということを提案したいのです。

その時にちょっとだけ今までの便利さを手放してみる。

毎日お菓子を食べていたのなら、週に2回くらい食べない日を作ってみる。そうすると食べるお菓子が今までよりも美味しく感じるかもしれません。

毎日ペットボトルの飲み物を会社で買うのなら、たまには水筒に水を入れて持参してみる。そうすると、ペットボトルの軽さに気付くかもしれないし、ペットボトルの飲み物の美味しさに気付くかもしれません。

海外旅行に毎年行っていたのなら、たまには国内旅行に変えてみる。そうすると、気付いていなかった日本のいい景色に出会うかもしれません。

スマホで動画を見る、ゲームをすることが習慣になっているのであれば、たまにはやめてみる。

そうするとスマホを触りたくなる。いかに自分がスマホに頼っているかわかるかもしれません。

結果として自分にとってそれは必要だと判断したらそれでいいんだと思います。

私たちはあまりにも日常にあふれる便利なものを当たり前のものとして考えすぎている。

お金について考える際は、まずは今の自分の暮らし方に目を向けて少しだけ便利さを手放してみる。

その結果、自分でこうありたい譲れない暮らしの型を定めた上で、必要なお金の量を考え、貯めるなり運用するなりといった手段を考える。

私は、こんな考え方を提案したいです。

今回ギャラリーからお借りしたのは、ふうちゃんさんの作品です。お借りいたします。

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