#11 バイトを育てろ
午前中に珍しく吉岡が出社してきたため、柚木は吉岡と二人で昼食を食べに出かけることにした。吉岡のお気に入りは蕎麦屋「千秋庵」の鴨蕎麦である。柚木が月刊キャンプ編集部へ異動してきた頃には、二人で昼食をとるのが常だったが、最近吉岡は外出していることが多い。
あのとき、月刊キャンプが存続するためには、副編集長である吉岡が仕事を続けるということが必要条件だった。嶌からは、吉岡本人は編集部を卒業したいという気持ちがあるが、後輩三人の雇用を守るために継続を決めたのだろうと聞かされていた。だから、最初の六カ月間は月刊キャンプ専属だが、それ以降は他社の仕事も兼任していいという条件を出したのだという。すでにその六カ月は過ぎていることから、吉岡はフリーの編集者としての仕事も模索し始めているに違いない。
「徹くん、来週の第一特集のロケで、小峰を使いたいんだけどいいかな?」
「大丈夫だと思います。こっちのロケは補助なしでいけそうですから」
吉岡は六カ月が過ぎても第一特集の担当が続いている。ほかにそれを担当できる編集者がいないのだから、仕方がない。この点においては嶌の目論見が外れたことになるが、第一特集を担当したまま、吉岡がフリーの仕事をはじめるのは難しい気がする。
「小峰のことなんだけどさ、徹くんはどう思ってる?」
鴨蕎麦をすすりながら、吉岡が言った。柚木はもり蕎麦を食べている。
「どうってどういう意味ですか?」
「あいつ、無口だしシャイだから、消極的に見られちゃうだろ。損してると思うんだよね。頼んだ仕事は結構しっかりやれるのに」
「そうですね。飲み込みは早い方だと思います。コミュ力に難がありますけどね」
小峰との会話では必要最小限のものしか返ってこない。そういうタイプなんだと、最近はこちらが合わせるようにしている。
「あいつ見てると、昔の自分を見てるようで、気になるんだよね」
「そうなんですか?」
吉岡はそう言うが、吉岡と小峰ではそもそもが違うような気がしていた。
「あいつ、まだ20歳そこそこだよ。専門学校出て、俺も一人でこの編集部に入ってきた。ちょうど月刊CAMPの立ち上げの頃でね。学生から急に大人の世界に入って、まわりは忙しい人ばかりでろくに説明もしてくれないし、苦労したのを覚えてる。仕事は雑用ばかりでつまらないしね」
同期、のような存在がいないのは辛いかもしれない。小峰にとって一番年齢が近いのは25歳のガシャポンだ。でも、五年の違いはかなり大きい。
「ガシャポンみたいに相手の懐に苦も無く飛び込んだり、カツオみたいに人懐っこく立ち回れる奴はいいんだよ。俺も小峰もそういうタイプじゃないから、馴染むのに時間がかかるんだよね」
そうかもしれない。ガシャポンはコミュ力はマックスだし、磯野は自然と人に愛される。二人とも、編集者として必要な要素をすでに持っている。
「どうしたらいいんでしょうかね」
柚木は、自分が小峰のことをあまり考えていなかったことに気づいた。
「何かのきっかけで本人が変わるしかないんだけど、俺としては基本を教えてやろうと思ってる」
「基本、ですか」
「社会人としても、編集者としても、基本ができていればどうにかなるよ。だから、徹くんからもあいつに教えてやって欲しいんだ。表紙の撮影とか、ロケの手伝いのときなんかに。あいつが殻を破ったときに、基本の技術ができてれば助けになるからさ」
吉岡が一目置かれるのは13年の経験があるだけではない。後輩思いで、バイトの小峰にも成長の機会を与えたいと考えている。いまは副編集長だが、柚木はいずれ吉岡が編集長になればいいと思っていた。だが、月刊キャンプ一筋というキャリアが、吉岡の足かせになっていることも想像できた。だからこそ、吉岡はフリーでほかの仕事を経験したいと考えている。それは吉岡という編集者にとっても重要なことだ。だが、吉岡の穴を埋めるだけの余力は、今の月刊キャンプ編集部にはない。悩ましい問題だった。
そうか、小峰を一人前にすればいいのか。
柚木はふと当たり前のことに気がついた。バイトとして0・5人分換算だった小峰が一人前になれば、戦力として大きい。一朝一夕にできる話ではないが、目指す方向性としては間違っていない。
「わかりました。これからは小峰を育てるよう、配慮してみます」
「助かるよ。徹くんの仕事の仕方は、あいつにも勉強になると思うから」
20歳そこそこと吉岡は言ったが、考えてみればオードリーも小峰と同い年だ。高校を出てから芸能活動をはじめたと聞いたから、社会人としてのキャリアは三年目になる。一人でモデル事務所に所属し、毎回違う現場やオーディションに足を運んでいるのだろう。それはとても大変なことに思えた。
蕎麦屋のテレビでは、フィギュアスケートの大会の結果が流れている。スケートリンクの中央でジャンプを決める選手たちは、どこかオードリーの姿を思い出させる。ストイックでひたむきに、小さい頃から自分の夢をひたすら追っている。若いことや経験のないことを言い訳にしない。
今シーズンのフィギュアの戦いがスタートしている。
冬がきたんだな、と柚木は思った。