【映画#38】「太陽がいっぱい」『長崎乱楽坂』より
こんにちは、三太です。
最近は沖縄に注目をして、本を読んでいます。
Youtubeの色々なチャンネルを見る中で、現代の状況を考えると、これはしっかりと注視していかなければと感じました。
他にも読むべき本、見たい映画もたくさんありますが、一つ一つじっくり向き合っていきたいと思っている今日この頃です。
では、今日は『長崎乱楽坂』に出てきた映画、「太陽がいっぱい」を紹介していきます。
『長崎乱楽坂』内に出てくる映画はこれ1作です。
基本情報
監督:ルネ・クレマン
出演者:トム(アラン・ドロン)
フィリップ(モーリス・ロネ)
マルジュ(マリー・ラフォレ)
上映時間:1時間58分
公開:1960年
あらすじ
ローマの海上をいく水上飛行機のシーンから物語が始まります。
フィリップという放蕩息子の目付役として、サンフランシスコからトムが派遣されます。
フィリップはマルジュという婚約者がいながら、ナンパをしたり豪遊したり遊び回っています。
そして、時々マルジュのもとに戻り、都合の良いことを言っていました。
このようなフィリップに対して、マルジュは怒ることなく、むしろフィリップのことを愛していました。(ここらへんの関係性が難しいところです)
そんな中、トムも含め3人で乗っていたヨットで事件は起こります。
フィリップとマルジュが二人きりになりたいため、トムがボートに乗せられ、日焼けで背中に大やけどを負うのです。
このあと看病を受けるトムの策略で、マルジュはフィリップの浮気を疑い、ヨットをおります。
そして、二人きりになったフィリップとトムの間で、一番大きな事件が起こりました。
ここからトムの逃避行が始まります。
トムはどこまで逃げ切れるのでしょうか。
設定
・三角関係
・殺人事件
・殺意のある殺人と、殺意の薄い殺人
感想
マルジュという婚約者がいるにも関わらず、女遊びをしているフィリップを許せなくて、トムが殺人を犯したという構図かなと思いました。
そういう意味で言うと、三角関係とも言えるかもしれません。
しかし、トムはこう思っていましたが、マルジュはそこまで思っていたかはわかりません。
フィリップを愛している感じでしたし。
トムとフィリップの事件のあと、ヨットの上は大荒れだったのですが、撮るのが大変だったろうなと思いました。
どうやって撮ったんでしょう。
オチはなるほどという感じでした。
トムはマルジュといい感じになり、海のほとりで太陽の日を浴びながら、最高の気分を味わっています。
ここで「太陽がいっぱい」という台詞が入ります。
ぎりぎりで警察の追及をかわしていくトムでしたが、最後に伏線が回収されます。
荒れる海ヨットをはさむ秘密ごと
その他
・ウィキペディアより
→パトリシア・ハイスミスの小説『リプリー』を原作とした、ピカレスク・サスペンス作品
→この作品はアラン・ドロンがフランスだけでなく、世界的なスターになるきっかけとなった作品である
『長崎乱楽坂』内の「太陽がいっぱい」登場シーン
このシーンは、六章構成の第三章「明生と水玉」に出てくるシーンです。
駿は中学一年生になり、おじの文治が出しているヨーヨー屋で働かされていました。
そこに同級生で、同じ美術部の明生が訪れます。
明生は、母が別れ話が原因で父に包丁で刺し殺され、祖父に引き取られたという境遇の登場人物です。
その明生が駿の家の離れを訪れたときの会話が引用部分です。
この離れは三男の哲也がいた部屋で、『長崎乱楽坂』のストーリーでも重要な場所です。
そこに、アラン・ドロン、モニカ・ヴィッティなど外国の映画俳優たちの写真が貼られているのです。(p.12に書かれています)
哲也は映画好きな面があったことを表しているのだと考えられます。
吉田修一作品とのつながり
三角関係であるとか、犯罪が起こるとかは吉田修一作品でもよく出てくる設定です。
以上で、「太陽がいっぱい」については終わります。
それでは、読んでいただき、ありがとうございました。
画像の出典:映画ドットコム「太陽がいっぱい」