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春のような温かさがいつもある学校に… 共感と安心と挑戦と 〜心の宝物354

🌷春のきらめき

山に囲まれた小さな学校
山間の集落の三月。寒さのゆるみは未だ感じられませんが、この頃になると、陽光の明るさが日に日に増していきます。少なくとも、私には、明らかにそう感じられます。春を待ち望む気持ちに、五感が導かれているのでしょうか。
この日、そんな春の陽光のような、5年生の彼の、きらめきをとらえた「黄色い紙」が校長室に届きました。

ある雨の日の昼休み、体育館の昼遊びに急ぐ彼は、給食後の廊下に、水がこぼれて小さなたまりをつくっていたのに気づきました。
そうして、近くにかかっていた雑巾でさっと拭き上げ、何事もなかったかのように立ち去ります。その姿に心を打たれた3年生の児童が、担任の先生と相談して、私に伝えてくれたのでした。

🌷共感と安心と挑戦 ~「急いでいるのに」と「急いでいても」~が響き合う

この年の後半になって、子どもたちが、他者の言動のよさを表現するとき、自分の気持ちに引き寄せたり、その言動を選択しづらい場の状況に思いを馳せたりするようになりました。
もってまわった言い方をすれば、人がいつも完ぺきであれるはずがないという認識(穏やかな諦観)に立ち、そんなありのままの自分でいることも受容する文化です。そこを前提として、仲間の言動の値打ちを吟味する思考法が、ゆっくりと子どもたちの間に根を張っていきました(心の宝物206に既述)。

この日、下級生が伝えてくれた「黄色い紙」にも、そんな視点が表れていました。
「じぶんがこぼしたんじゃないのに…(略)、きっと、早くたいいくかんであそびたくていそいでいるのに…」という一節が添えられていたことです。
そこには、気づくことと、行動することの間の遠さ、無償の利他的行為の崇高さと困難さ、感情と理性の折り合いの難しさなど、人間の存在への深い洞察と愛情があります。その位置から意味づけられた、5年生の彼の行動は、ただならぬ輝きとして、全校児童の感動を呼びました。

「よくやってくれた。私が同じ場面に出会ったら、君のようにできるか自信がない」
そう告げた私に、君は、
「早く遊びたかったけど、あれは(誰かが滑ると)あぶないので、した方がいいと思いました。したくなりました」
と答えてくれた。

そうなんだ。
それが、君たちが今、みんなでつくっている文化だ。

少しずつ合言葉のようになりつつある「普通だったら…(できない)」「もし自分だったら…(そうできないかもしれない)」という考え方は、君たちの中に、「ありのままの自分でいいんだ」という安心感を届けている。
しかし、君たちはそこにとどまってはいない。その安心感をジャンプ台に、「でも…(挑戦しよう)」という山に挑む人が増えている。
そう。今日の君のように。

共感が安心を生み、その安心をエネルギーにして挑戦する。
それがみんなの喜びになる。
そのことを君は、自分の姿と言葉で、宣言してくれた。
君を誇りに思う。

かけがえのないあなたへ
素敵なきらめきをありがとう
出会ってくれてありがとう
生まれてきてくれてありがとう
どうか、ありのままで
どうか、幸せで

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