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春のような温かさがいつもある学校に… 心の宝物で賞の弊害 〜心の宝物350
🌷「心の宝物で賞」の弊害
コロナ機の学校
5年生の彼女は、寡黙な人でした。しかし、背筋はいつもすっきりと伸びており、目はまっすぐに前に向けられていました。
当然想定されたことですが、「心の宝物で賞」の取組を、私が大きく打ち出すことで、それを得ることを目的にする意識が、子どもたちの中に発生しました。これは必然です。担任の先生の前では力を抜くのに、私が通りかかると別人のように頑張る。
「校長先生に見せる顔と、普段の顔はちがいますよ!」
一部の先生方からは、そんなマイナス効果を、弊害として強く指摘されました。
私自身、その危惧には常に注意を払いました。自分の目と心がとらえるものが、その子の真実であるのか、自分の言葉は、その子の内なる成長の泉を、真に掬い取るものであるのか、それとも上澄だけをすくとっているのか。それを自身に厳しく問うことを決して忘れないからどうか力を貸してほしいとお願いしつつ、子どもたちと共にいました。
取り組みを始めて、このマイナス効果とは違う、意外な効果を感じました。
それは「ほめられるために善行をすることを自分に問う」という意識が、中・高学年の子どもたちの中に芽生え始めたことです。
彼女もそんな意識を体現する一人でした。
🌷背筋も 視線も 力強く 真っ直ぐに
この日の児童玄関でも、掃除をする彼女の姿には、髪一筋のゆるみもありませんでした。目はまっすぐに、仲間の靴箱に向けられています。私がそこにいても脇目も振らず、意識は、靴箱を清め、仲間の靴の底を丁寧に払って、美しくなった靴箱に戻すことに集中しています。
「ありがとう。こんなにきれいにしてくれて、その子はきっと驚くでしょうね」
そう声をかけますが、小さな会釈を返してくれるだけで、集中力が途切れることはありません。
素っ気ない態度です。しかし、負の感情は一切伝わりません。
「ありがとうございます。でもほめていただくには及びません。私は、すべきことをしているだけですから」
そんなメッセージが、緩まない彼女の表情から伝わります。
よく分かったよ。
私が始めた取り組みは、きっと君たちの心を波立たせたね。
君の周りにも、ひょっとしたら君自身にも「心の宝物で賞」を得ることを目的に、自分の言動を調整しようという意識が生まれたかもしれない。
それは、人として当然の感情であって、責められたり、蔑まれたりすることでは決してない。
しかし、それにとらわれすぎると、自分の内なる声を聞かなくなってしまう。
ほめられるために、無理してがんばる。
ほめられるために、自分を偽る。
ほめられるために、ありのままではない自分を演じる。
ほめられるために。一枚の賞状を得るために…。
本来は、悩んだり、迷ったり、傷ついたりしながら、自分や仲間の笑顔と成長を求めあうための時間が、ほめられることに汲々とする時間になってしまう。みんなも、保護者の方も、大いに歓迎してくださっているけれど、そうなる危険が、「心の宝物で賞」には常に潜んでいる。
しかし、君たちはそれにとらわれることはなかった。きっと迷った時間もあっただろうけれど、その迷いを踏み台に「その言動を、自分は何のために選び取るのか」を真摯に考えただろう。
そうして、「ほめられるための選択は、決して自分や仲間のためにならない」「そんなの本当じゃない」「だから自分は、ほめられるためには行動しない」という結論を、自ら導き出したのだろう。
君をはじめ、高学年の人たちに、そんな文化が根付き始めたことが力強く伝わる。
ありのままでいいんだ。きまぐれでもいいんだそれもこれも、自分の選択なんだ。
だから今の自分のありのままとして、この選択をするんだ。
低学年の子たちには、ほめられることが、賞状をもらうことが大きな喜びになっていることは間違いない。それはそれで悪いことではないと思っていたけれど、君たちの姿を見て、その思いに自信を持つことができた。
君たちが生来もっている、強靭さを、清廉さを、改めて学ばせてもらったよ。
ありがとう。
かけがえのないあなたへ
素敵なきらめきをありがとう
出会ってくれてありがとう
生まれてきてくれてありがとう
どうか、ありのままで
どうか、幸せで