春のような温かさがいつもある学校に… 誰がなんと言おうと、君の本質がそこにあることを信じている 〜心の宝物158
🌷振り向かなくても笑顔が見えたよ
コロナ機の学校
校内では必ず、目についたゴミは拾うようにしてきました。子供から教わったからです。
20代の後半、生徒たちと雑談していたとき、ある子が次のように言ったことがありました。
「私たちは忘れ物をするとお説教なのに、先生たちは職員室へ取りにいけていいな」
教師に対する批判でも、反発でもない、無邪気なつぶやきでした。
それだけに心の奥にずどんと届いてショックを受けました。
「ちょっとごめん」などと言って、うっかり忘れた掲示物や、配布するプリントを、4階の教室から、職員室まで取りに駆け下り、若さに任せて瞬時に戻ってくることを、フットワークのよさくらいに思っていたことが、とんだ料簡ちがいだと諭された気がしました。
そのとき以来「子供たちに求めることは、必ずそれ以上の確かさで実行する」ことを行動律にしました。
この日の朝も、4年生フロアの廊下の隅に、綿埃の塊を見つけ、拾いました。そのときでした。
「僕がもらいます!」
背後から大きな声がかかりました。振り向かなくても、笑顔が見えるような、善意と活力が伝わりました。
🌷誰がなんといおうと、君の本質がそこにあることを信じている
大柄で運動能力に恵まれた彼は、少年野球に熱心に取り組んでおり、チームの中心選手でした。休日もほぼ終日、練習に、試合にと全力を尽くしています。文字通り、センターラインの要で、グラウンドで状況を瞬時に判断し、よく通る声で、チームに出す指示の的確さ、仲間を鼓舞する言葉の豊かさには、小学生離れしたすごみがありました。
その疲れからか、学校では時折、集中力を欠くところがあり、ときに、お母様が「(野球のときとは)別人格です」と苦笑いされるほどの落差を見せることもありました。
いつでもどこでも、常に自分や仲間にとって前進的な言動を選択できる人などいるはずはない。自分の中に生きて残ることは、メトロノームのように揺れて悩んだ経験から感得したものの方が多いものだ。逆に振れる経験も大切。大いに振れればいい。
しかし、君がどれほど逆に振れても、その時間が、例えば10の内9であっても、君の本質は野球のときの、今日のようなときの、視野の広さと強靭さにあると信じている。
誰が何といおうと。
そんな思いでお伝えしました。
かけがえのないあなたへ。
素敵なきらめきをありがとう。
出会ってくれてありがとう。
生まれてきてくれてありがとう。
どうか、ありのままで。
どうか、幸せで。
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