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春のような温かさがいつもある学校に… そっけない?それがどうした 〜心の宝物347

🌷信念をもって

コロナ機の学校
6年生の彼は、西門から登校してきます。長身で体力もあり、その気なら、重いランドセルを背負ってさえ、校門に至る最後の急坂を風のように登ってくる運動能力も十分に備えています。もちろん、そんなことはしません。通学班の先頭に立ち、すぐ傍らの1年生のペースに合わせ、ゆっくりと坂を登ってきます。
彼の周囲では、他の児童が、我先に、校門の私に向かって挨拶の声を届けてくれます。
しかし、彼は全く無反応です。

ふてくされているとか、挨拶に値打ちを感じていないとかではありません。あえて、そうしているのです。

彼らが登ってくる坂道沿いには、民家が並んでいます。時刻はまだ朝の7時台。その時間に大きな声を出すことは近所迷惑だと考えてのことです。
だからと言って、下級生たちのそれを、たしなめることもしません。彼らの無邪気な活気も大切に思っているのです。
信念は貫きつつ、それを過度に周囲に押し付けはしない。一見不愛想に見える、彼のそんな生き方を好ましく眺めていました。

🌷そっけない? それがどうした そんな君がいいんだ

坂を登り切り、傍らを通り過ぎるときも、表情は緩みません。しかし、その表情のまま、目を合わせ、小さな会釈と共に「おはようございます」とあいさつを交わします。

掃除の時間には、大きな体を折り曲げるようにして、児童玄関を丁寧に掃いています。傘立てなど、障害物にあたるたびに、動かすことができるものは、全てどけて。

君を見ていて、つくづく、正直な人だと思う。そうして、強い人だと思う。
した方がよいこと、しないほうがよいことを、自分の軸できちんと判断し、妥協なく行動する。
様々な場面の、様々な姿から、そんな君の生き方が伝わります。

自分の見え方にとらわれないで生きることは、実はとても難しい。多かれ少なかれ、私たちには、誰かから認められたいという思いがあるからだ。それは勿論、健全な欲求であって、そうした、周囲からの承認から得られる安心感や温もりは、私たちが次のステップを踏もうとしたり、次のステージへ上がろうとしたりするときの大きなエネルギーになる。それだけでなく、信頼する人から心に深く打ち込まれたそれは、その後の生涯を支える杖になりえる。

ただし、承認を得ることを目的にしてしまうと苦しくなる時がくる。ありのままの自分を偽って、そのときそうした方がよいと思われる言動を選択することは、心に負担をかけてしまうし、そうして得られた承認に安住することは危険ですらある。

君は、そのことを心で感じとっているのだろう。
自分の軸をずらしてまで、にこやかに振る舞うことは、自分にとっても、相手にとっても、決して誠実な態度ではないことを、心の深いところで理解しているのだと思う。

そっけない?それがどうした。
信念にしたがって、自分を生きている。
そんな君がいいんだ。

かけがえのないあなたへ
素敵なきらめきをありがとう
出会ってくれてありがとう
生まれてきてくれてありがとう
どうか、ありのままで
どうか、幸せで

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