こどもを産むと決めるまで
こどもを産んで育てることがずっと怖かった。
こどもはもともと大好き。
高校の頃、進路に保育士も検討していたくらい。
わたしは複雑な家庭に生まれた。
どれくらい複雑か具体的に話す勇気はまだないけれど、再婚した父とはもう2度と会わなくていいと思うくらいは、複雑だ。
そんな環境で育った自分が、果たして産まれてくる我が子を幸せにしてあげられるのか。
複雑な環境にその子を巻き込んでしまわないか。
穏やかで幸せな家庭で育てなかった自分が、そんな家庭を作ることができるのか。
ずっとずっと不安だった。
社会人になってから2年が経った頃
メンタル系の病に倒れ、働けなくなった。
(振り返ってみれば高校の頃からずっと様子はおかしかったのだけれど、ついにタガが外れてしまったらしい。)
それから5年間、投薬治療を続けた。
なべちゃんとは交際3年目で結婚したのだけど、それはわたしが病に倒れた真っ只中のことだった。
ひとりの力で生きていけなくなってしまったわたしを救ってくれたのは、紛れもなくなべちゃんだった。
なべちゃんの家族はすべてを受け止めて祝福してくれた。
なぜなべちゃんを結婚相手に選んだかと聞かれたらそんな経緯もあるけれど、わたしはなべちゃんの家族が大好きだから、と答える。
絵に描いたような穏やかで幸せな家族。
わたしがずっとずっと憧れていたもの。
その家族に自分が仲間入りできたことが、ほんとうに幸せだった。
そんな家族にずっと申し訳なかったこと。
それが、わたしたち夫婦の間に長いことこどもができなかったこと。
正確に言うと、作れなかった。
投薬治療を続けていたから。
それでも、なべちゃんの家族は孫はまだかい、なんて直接的に言ってくることもなかった。
きっといつだって気がかりだったはずだけど、その気持ちをおさえてわたしたちの、いやわたしの気持ちを尊重してくれていたのだと思う。
ついに投薬治療が完全に終了した頃
ああ、もうこどもを作ることができるなあ、と真っ先に思った。
さて、どうする。どうしよう。
そこから1年かけて悩み続けた。
自分の胸の内を何度かなべちゃんに明かした。
その度に涙を流し、どうすればいいか決められずにいた。
最後になべちゃんにその話を切り出したとき、なべちゃんが言ってくれたひとことが、わたしの中にある鬱鬱としたものをすべて取り払ってくれた。
「もしこどもがいなくても、将来犬と猫を飼おうよ。想像してみたら、それもすごく幸せだよね。俺はそれでいいよ。」
そっか。と。腑に落ちた。
こどもがいたっていなくたって、きっとこの人となら幸せでいられるな。と。
その時なべちゃんが言うその光景を想像して、そう確信した。
そして、わたしは"どちらでもいい"という選択をすることにした。
こどもが生まれて、もしもわたしの複雑で面倒で厄介なことに巻き込まれそうになったとしても、その時はなべちゃんがいてくれる。
今まではひとりで闘ってきたけれど、これからは一緒に闘ってくれる頼もしい(いや、ほんとはちょっと頼りない)パートナーがいる。
だからきっと大丈夫だ。
あとは神様に任せてみよう。
そうして、それから何ヶ月か経って、お腹に命を宿ったことが分かった。
その時、わたしは心の底から喜んだ。
体じゅうから湧き上がる気持ちを感じた。
飛び上がるほど嬉しいとはよく言うけれど、比喩でもなんでもなく、嬉しくて飛び上がったのは人生で初めてだった。
きっとこれがほんとうのわたしの気持ちなんだ、とその時に気付いた。
息子が生まれて1年5ヶ月が経った。
何事もなく平和に過ぎたわけではない。
覚悟していたことはやっぱり現実に起こったし、その度に涙を流したけれど、想像していなかったこともあった。
どんなに涙を流しても、息子の姿を見れば強くいられること。
巻き込んでしまったらどうしようと不安だったことは、何がなんでも巻き込まない、という気持ちに変換された。
こんなにも我が子に強くさせてもらえるなんて、思いもしなかった。
手も足も、何もかも小さいのに、今ではわたしの生活すべて丸ごとこの子に染まるくらい大きな存在。
この子のためにじぶんがまず幸せでいようと思えた。
ずっとずっと憧れていた、穏やかで幸せな家族。
今、それを自分が築いていることを、心から幸せに思う。