はじめに
昨年末から最近まで探究なかまと毎週少しずつ書籍『福岡伸一、西田哲学を読む:生命をめぐる思索の旅』を読み進めていました。
今回は、西田哲学の内容そのものではなく、この本で西田哲学研究者である池田善昭さんの発言を引用することを通じて、氏が西洋哲学・科学と対比する形で紹介している西田哲学の位置付けについて紹介していきたいと思います。
池田善昭さんの語る西洋哲学・近代科学とは?
このテーマについて池田さんが語っている内容は、書籍『ギリシア哲学30講 人類の原初の思索から(上下)』の著者である日下部吉信氏に依るものが多そうなので、その書籍にも手を出してみたい(が、哲学も範囲と奥行きが膨大なので本当に興味が湧いたところだけつまみたいw 今の時点ではそこに手を出すまでの意欲は湧いていないかなぁ)
→哲学の世界では、存在と実在は分けて使われているようですが、いまいちまだ意味が分かっていないので理解したいなぁ。
→ミンコフスキー次元(空間)は、書籍で図が紹介されていたのですがどういうものかまだ分かっていません。が、「時間を空間化する」という表現が印象的だったので引用しました。
池田善昭さんの語る西田幾多郎、西田哲学の特徴とは?
→生命とは何か?について考えていた日本人の哲学者は他に誰がいるんだろう?という問いが生まれた。
→実在論、唯物論とはどういうものか?物とは、コトとは?そういう疑問が湧いています。
→カントも名前は聞いたことがありますが、どういう人でどんなことを提唱されているのか全然知らないなぁ。
さいごに
私は哲学史をちゃんと学んだことはない、西田哲学も今回初めて知った、科学史もよく知らない、といった状態だったのですが、今回紹介した内容を繰り返し読むことで「何となく」西田哲学がどういう文脈に置かれているものなのか、分かってきました。
(とはいえ、語っている池田さんがそう位置付けたいというバイアスがかかっているのは十分にありえるので他に西田哲学を語っている方の情報にも触れてみたいと思っています)
また、難解と言われる西田哲学を読書会が終わったにも関わらず、ある意味苦しみながら(笑)、なぜ引き続き探究しているのか考えてみたのですが、それは端的にいうと「自身の体感を伝えられるようになるフレームワークだから」かもしれないと思い始めています。
その体感とは、今の私を形作る大きな体験の1つとなったハワイ島のオーガニックファームでのこと。私はその時に、私は「いのちの循環」の中を生きているということを実感する機会がありました。そして、そのレンズで以て自身のそれまでの生活を眺めてみると、「お金がなければ生きていけないと思い込んでいたこと」「経済至上主義の枠の中だけで物事を捉え、農作物なども捉えていたこと」それらのことにも全く気づいていなかったということに気づきました。
それ以降、人生は大きく変わったのですが、この時の自身の体験を紐解くヒントが西田哲学にありそうだと感じています。
また、このあたりは別で探究し記事にもしてきたリジェネラティヴリーダーシップにも通ずるものがありそうですし、言ってしまえば従来の会社・組織をピュシスの側から読み解こうと試みた実験でもあるティール組織にも、通ずるものがありそうです。(生命をテーマにしているんだから当たり前ですわね 汗)
今はまだどのように接続するか分かりませんが、引き続き穴掘りしていこうと思っています。
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