見出し画像

WWOOFイタリア【「日本人ならスシつくってよ!」という“純粋無垢な難題”にどう応えるか?】に関する考察。

余談ですが…

色んな国の人が参加するWWOOFでは、WWOOFer(=私たちボランティア)が自国の料理をお互いに振る舞うことがある。

「日本人ならSUSHIつくってよ!」とリクエストされることも。WWOOFに限らず、海外で同じ経験をした人は結構いると思う。私も例に漏れず、出発前のメールの段階でホストからリクエストがあった。

"Sei giapponese, puoi fare un pò di sushi almeno non mangiamo nei ristoranti vicini sushi cucinato dai cinesi."
=「日本人だったら、ちょっと寿司をつくってくれない?僕らは近くの中華料理屋の寿司すら食べたことがないんだ。」

と。

『簡単に『スシスシ』って言わはりますけど、鮨がどれだけ難儀な食べ物か分かってますのん?』

とかブーブー思いつつも

『どうせなら美味しいお寿司を食べてほしい!』

と思うじゃないですか。そうすると、どうしたって悩むわけです。

ローマやミラノだったら日本食材のお店があるけれど、この農家はトスカーナの片田舎、“大草原の小さな家”みたいな所。調味料はおろか生魚など手に入らないことは想像できるわけで。でも私はそのホストにとって日本人第一号。“寿司をつくる日本人”への期待値が高くて「なんでも揃えるから言って」「お代は払うから、日本の食材を食べてみたい」と駄目押しのメールが来た。

私は出発までトスカーナでスシをつくるイメージトレーニングに明け暮れ、気付けばバックパックに、すしのこ、ちらし寿司のもと、海苔、わさび、醤油、しゃもじ、すまき、お好み焼きのもと、おたふくソース、揚げ玉などなど(←寿司しか頼まれてないけど。)を詰め込み旅立っていた。

が!しかし!

到着した瞬間、ホストのアンドレア(父・55歳)に「なんでそんなに荷物が多いの!!!???」とびっくりされることに。「え、だって食べたいって言うたやん」と思ったが(お好み焼きは言ってない)、他のWWOOFerたちはかなり身軽。イギリス人はタルタルソース持ってきてなかったしブラジル人もカシャーサ持ってきてなかったしアメリカ人もパンケーキの素持ってきてなかったしスコットランド人もウィスキー持ってきてなかった…。(なんか私恥ずかしい…)

そして、WWOOFの終盤、いざ寿司をつくることになったのだけど、親戚や娘の彼氏まで大集結したため「すしのこ」が足りなくなった。そしたら娘のベロニカ(22歳/漫画とアニメ大好き)

「大丈夫。バルサミコで代用できるよ」

ってパパッと酢飯をつくってくれて。

「いや、ちょっとあんた…」と思ったが、これが美味しいのなんの…(涙)。

「日本人たるもの本場の旨い鮨を食わせてナンボ」とか余計なことは考えず、皆様には、最小限の荷物で行くことをおすすめします。

【結論】だって、その土地のものが一番美味しいのだから…。

(こんな人いないと思うけど。)

ちなみにイングランドWWOOFerとアメリカWWOOFerは地元の食材をうまく使って料理してた。

・頼まれてもないのにお好み焼きを焼く私fromジャパン↓
 ・頼まれたのでフィッシュ&チップスを揚げるトムfromイングランド(カメラ向けるといつもこういう顔する。)↓

あと、書きながら、じわじわと思い出してきたよ。。。この寿司事変にも紆余曲折いろいろあったな、と。

実は最初、息子のレオナルド(11歳)の誕生日にSUSHIパーティーをするはずだったんだけど、私が熱を出して延期になってしまい、レオナルドを悲しませたこと。

で、回復していざ寿司をつくり始めたら、今度は米の炊き方でベロニカと揉め(←イタリアでは炊かずに茹でるんです!)THE・アメリカ人のスコットが「トスカーナに売ってるサーモンなんて食いたくねぇ」とか言い出したり。(私も少し心配だったのでスモークサーモンを頼んだのだけど、アンドレアは「ちゃんと揃えるから気にしないで(^^)」って、わざわざ時間をかけて生のサーモンを買いに行ってくれたんですよ。それなのにスコットの野郎…)

しかも、もとはと言えば、あの時私が発熱した原因は、『マリオおじさんのテンションが高すぎるから』だったんだよ…。マリオ(50代)はアンドレアの数十年来の親友で、毎年ブドウの収穫期に遥々北イタリアからお手伝いにやって来るナイスガイなのだが、ブドウを摘みながら、ずーーーーーっと喋ってるの!そして声も身振りも何もかもがデカい!!イングランド人のルーシーは完全に無視していたけど(強い)、私はいちいち反応していたら知らぬ間に疲労が蓄積していたらしい(笑)。アンドレアがマリオに「お前まじうるさくて熱が上がるから近づくな」と接近禁止令をを出したほど。でもなんか、むげにできなかったよ私…。

・悪気はないのだが人を発熱させちゃうマリオ↓

本当に、みんな自由奔放な人たちだった。

だからこそ、味が濃ければ「ちょっとしょっぱいね」って言うし、美味しければ「これは好きよ」って言ってくれるし、「いや、オコノミヤキはソースが甘過ぎる」だの「米が柔らかすぎる」だの、意見が飛び交って、どちらにしたって食卓は賑やかになったのだ。私だったら気を遣って、人がつくってくれたものはなんでも「美味しい」と言ってしまいがちだけど、そうやって自分がつくったものにまっすぐに向き合ってくれたことがなんか気持ちよかった。

そして、トスカーナの片田舎、数キロ四方に私たちしかいないようなひっそりとしたブドウ畑の小さな家で、国も年齢もバラバラな見ず知らずの人たちが偶然集まって、大して上手でもない私の料理を囲んでお喋りしている、ということが、なんか途方もなく尊いことに思えたのでした。

【結論②】美味しさの定義は人それぞれ。つくったものをみんなで食べることに意味がある、のかな。

と、思った次第です。(※グダグダ言ってるけど、寿司とお好み焼きの話でした。)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?