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「静寂」

5月19日「文学フリマ東京38」に参加します。当日販売する新作に掲載しているエッセイを一編、ここでも紹介させてください。

フランスの地方都市での生活に馴染んでくると、日本との圧倒的な違いに気がついた。フランスには「エンタメ」が少ないということ。いや、日本があらゆるエンタメコンテンツに溢れかえっているだけかもしれない。特に東京にいれば、無理なくおもしろがれる物事に簡単に出合えてしまう。

秋アニメには何をやるのかなとか、フリーレン展に行けなかったなとか、日曜日にやっているワンピース最新話をリアタイするとか。ぜんぶアニメの例えになってしまったけど、とにかくサブカル、エンタメ系の情報に関して日本は尽きることがない。好きなもの一つひとつ追いかけているだけで、自分の時間が溶けていく。本当にすごい国だ。

3ヶ月ものあいだ日本から離れると、情報の量や速度感がフランスでは全然ちがうことに驚いた。フランスで話題の小説や映画、バンドデシネとかも実際にはあるのだと思うけれど、現地の情報についていけるほどフランス語力は高くなかった。人との会話には困らないけれど、現地のカルチャーを難なく楽しめるまでは至らず、フランス人たちとの会話もうまく盛り上がらず、今一歩という感じ。(アニメ好きのフランス人は多いから、日本のサブカルトークは尽きなかった)フランスにいながら、どこかその地に根をおろせていない感。言語力を磨かないことには始まらない。

でも、こういう状況が楽しくないとは思わなかった。自分の外側からやってくる特定の物事、特に私の趣味趣向の一つであったサブカルをほとんど断ち切ったことで、気づけたこともあった。

静寂も好きだということを知った。日本では、喜びや感動を与えてくれる漫画やアニメ、小説など、膨大な作品の情報に常に触れている。フランスにいたってどこにいたって、今はネットフリックスとかサブスク配信サービスもあるじゃないかと思うかもしれないけれど、やっぱり日本とは状況が違う。電車の中吊り広告とかビルの電子公告とかがない分、見える世界・聞こえる世界が大きく変わった。

ぐっと静寂が広がったここでは、コーヒーメーカーから落ちるコーヒーの音がコポコポとよく聞こえる。窓から見える変わらない景色を、飽きることなく眺めていられる。ヴィパッサナ瞑想とかリトリートしているみたいだ。特別なことは何一つしていないのに。

そのうちに、料理が日々の最大の楽しみになった。生活がより多くをよりカラフルに見せてくれるようになった。

しあわせは、外側からやってくるものだけでまかなえるものではない。私自身の手で、満たしていく工夫をしなければならない。静寂がもたらした気づきは、私のフランス生活を音もなく動かし始めた。


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