横濱の裏通りにて洗濯機に頬ずりをする
場末という言葉には惹かれる。そこにはあらゆる人生の喜怒哀楽が凝縮されているような錯覚を受ける。しかし自分がその場所に住むという算段は全く無かった。他に選択肢が無かったため必然的にそうなった。
国際結婚というものには、そのいささか甘い響きの背後に語られない憂鬱がある場合もある。その一つが日本における不動産探しであった。
例を挙げれば、不動産仲介代理店のガラス張りのドアが開いた瞬間、「ノーノー外人」、と手を横に振られたことも数回ある。私は生粋の日本人である。しかし私の後ろから遠慮がちに立っていた連れは長身、サラサラの金髪碧眼、一目瞭然の「外人」であった。すなわち英語ではエイリアンである。
それならば、とやり方を変え、私一人で代理店で出向いて物件の見学をさせて頂いた。多少話を進めたあとに改めて連れと一緒に代理店に伺うと、代理店の人々は、「同居人が外国人であることを何故最初に黙っていたのか?」と避難囂々である。
住人の国籍に言及する必要があるのか、保証人もいるし家賃を納められる定収入はある、何か問題があるのか、と切り返すと、
「ありますよ。外国人の方は同じ国の人を沢山連れ込んで、家賃を滞納して、揚げ句の果てに、いつのまにかどこかへ消えているんですよ」
代理店は過去に苦い経験をしたことがあるのか、あるいは先入観で物事を断定しているのか。
仕事上関わりのあった知り合いの外国人に書類を届けたことがある。
彼の部屋は若い男の汗と香辛料の匂いでむせ返っていた。四畳一間には働き盛りの青年たちが五人ほどで寝起きをしていた。壁には彼らの国の指導者の肖像画が掛けられており、和式トイレが廊下に一つだけ設置されていた。
「外国人でも入居可能な物件が見つかりましたよ」
ある代理店からそう連絡を頂いたため、連れと二人で物件を見に行った。
そのビルには六世帯ほどのマンションが入っていた。鉄筋コンクリートのモダンなマンションは特に問題は無かった、それが線路と線路の間に立っているということ以外に。
そのマンションに辿り着くためには電車が通っていない瞬間を見計らって線路を渡らなくてはいけない。騒音はどうであろう?窓からの景観は前方も後方も電車と線路であった。いくら狭い日本といえ、土地不足はそこまで切羽詰まっているのであろうか。
代理店から再度連絡があった。横濱関内駅から徒歩十分のところに「外人、水商売従事者、ペット許可」のマンションが見つかったという。
ブルース・リー氏の映画(怒りの鉄拳)の一シーンを髣髴した。
横濱中華街、山下公園、元町、外人墓地、高校時代に勉強疲れにより授業をサボった時は常に横濱に逃避行していた。横濱はそんな私を常に同じ表情で受け入れてくれていた。関内駅付近なら大歓迎であった。
しかし、
代理店から案内された物件は私の知らなかった部分、すなわち関内駅の、中華街とは反対の出口から出た場所に佇んでいた。
一応注釈させて頂くと私は、ほぼ平均的なベッドタウンでほぼ平均的な日本人家庭にて育ち、この地区の醸し出す雰囲気には全く馴染みがなかった。その2DKマンションは古くはなかったが、15万円の家賃の割には住面積はかなり狭かった。ベランダも付いていたが利用したことはなかった。
かなり後から理解したことであるが、このマンションは日本三大ドヤ街の寿町、以前の赤線地帯の黄金町のちょうど真ん中あたりに位置していた。寿町に関しては、何やら混沌としており、昼間から人がたむろっており、妙にアンモニアが香る一帯だな、程度の認識しか持っていなかった。
マンションの隣の部屋には、血管が透き通るように色白痩身の女性が住んでいた。私よりは二三歳年上である印象を受けた。私が仕事を終えて赤坂から関内のマンションに戻る時間帯には、それから出勤をする女性達とすれ違っていた。その女性達の中には時おり隣人の姿も見られたが、その色白の顔面は濃く彩られていた。
私たちは一度も挨拶、言葉を交わしたことはなかった。特に理由はない。
そのマンションは借りの住まいであるとは決めていたものの、入用になるものもあった。洗濯機もその一つであった。マンションの斜め前のタバコ屋で尋ねてみたところ、万世町付近に中古の家庭電化用品を扱う店が集中していると言う。
私はその付近の中古電化製品店を数軒まわり、全自動の洗濯機を購入した。価格は失念したが高価だとは感じられなかった。売却をしてくれたのは小柄な、年齢的には中年の域に入る男性であった。
洗濯機を設置する日が来た。私は仕事のあとマンションに一人で待機していた。
呼び鈴が鳴ったためドアを開けると野球帽を深く被った青年が一人で洗濯機の後ろに立っていた。小柄な青年であったため運ぶのを手伝おうかと訊ねた。
「いつもやってるんで」
私は手持ち無沙汰で彼の搬入動作を見守っていた。手際良くは搬入していたが小柄な男性なので洗濯機は重そうに感じられた。
取付けが終了し私が受取書にサインをしたあと、青年は帰る準備を始めた。私は、何か不具合が出た時に連絡が出来るように青年の名前を訊ねた。
「すみません、お名前は?」
青年はそこで初めて顔を上げて野球帽の下から私の顔を見た。驚いた表情だ。切れ長の目が印象的で鼻筋の通った青年であった。彼はすぐに下を向くとボソッと返答した。
「山田いいます。洗濯機をなおすことしかできない男ですが」
そのあと青年はしばらくその場に佇んでいた。わたしとしてはその返答に違和感を感じた。二人ともしばらく沈黙したまま立っていたため間が持たなかったが、やがて青年は軽く目礼してマンションから去った。
何故違和感を感じたのか?
私は、修理が必要になったときのための連絡先としての彼の名前を訊ねただけであった。しかし、彼の返答は、私が人間として、あるいは男性としての彼に興味を持ったように勘違いしたのではないかと思わせしめた。
果たして、この界隈では彼の名前を訊ねる人などいないのであろうか。
彼は大学生のバイト生等ではなく、おそらく中古電化製品店の店長の息子であろう。体躯と雰囲気が似ていた。
私の周りには、相手の目を直視して、明確に自分紹介をして握手を求めるようなタイプの人間が多いので、ボソッと山田と紹介した青年の反応は非常に新鮮に感じられた。
この地区では、私が長く住んでいたベッドタウンでは滅多に見られない光景が日常的に見られた、敢えて詳しくは描写しないが。
もし、横濱のこの土地で暮らしたことがなければ、まったく違う環境で、まったく違う価値観を以て必死に生きているこの人達の生き様のようなものを垣間見ることは儘ならかった。
何故かあの寡黙な青年ともう一度会ってみたかった、会話が弾まないであろうことは充分確信していたが。しかし、全自動洗濯機は、横濱で暮らしていた一年間一度も壊れることはなく、従って彼に連絡する理由も無かった。
二年前に帰国したときに、日本を離れてから初めてこの土地を再訪した。横濱に友人を案内して来たことはあるが、案内をしていたのは常に関内の駅の向こう側であった。
赤線地帯であった黄金町はかなりのイメージチェンジを遂げたと聞く。
ビールを買いに行ったり、いろいろとお世話になったくだんのタバコ屋の老夫婦を久しぶりに訪ねてみたかった。そのタバコ屋は色褪せた和服女性のポスターをレジ近くにずっと貼り付けてあった。果たしてあのポスターはまだ貼ってあるのであろうか。おのずと追憶を辿る歩調が速くなって来た。
マンションは辛うじて見つかった。しかし、そのタバコ屋はどうしても見つからなかった。
考えてみたらあれから二十年の年月が経っている。
ご訪問本当に有難うございました。
日本の関東地方は大雨による災害に見舞われていると聞きました。どうぞ皆さま水害等にもお気を付けください。
言葉を交わさせていただいた方々をテキスト記事の時に紹介させて頂いております。なるべく知り合いになった順番に紹介させていただいておりますが順番が前後することもあります。
今回のテーマは「創造」でしょうか。あいうえお順です。
高堂巓古様、
横濱に縁の深い書家の先生です。海外における書道を普及にも貢献されていらっしゃいます。過去に日本の記事を一回だけ投稿させて頂いた時に読者になって下さいました。書にまったく縁のない私の記事を時々気まぐれに訪問して下さいます。時々ひねりを効かせたクイズのような書を発表されていらっしゃることもあります。おそらくこの記事も訪問されないと思います。
もりおゆう様、
教科書にもイラストを提供していらっしゃる画家の先生です。7秒以上堪能できる絵画、お料理レシピのイラスト、ちょっぴり風刺を効かせたナメ君シリーズ、もりおゆうさんのライフワークの昭和シリーズもとてもノスタルジーを誘うものです。環境問題等に非常に高い意識を持っていらっしゃる先生です。
お借りした写真は
サムネイル マクフライ腰抜け様 Pixabay経由
中華街 meguraw645様 Pixabay経由
空中写真 David Mark氏 Pixabay経由