同調圧力の正体
こんにちは。なるです。
最近はkindle出版への勉強もかねて、名もなき著者の電子書籍を読んでいます。
今回興味を持ったのはこちらの本
この本で感じたのが「同調圧力という生きづらい環境は、沢山の承認欲求を求める人たちの自分への自信のなさ、存在価値の虚無からきている」という事です。
この本は著者の自伝が書かれています。
自分自身を取り戻し、自分自身の存在価値の虚無をどうやって埋めるかの「自分探しの旅」を終わらせるまでの著者の出来事が現在の著者の当時の分析を交えて書かれていたものです。
その著者が悩み苦しんだ背景にある同調圧力というものが何から発生したのかというわたしの奥底にあった疑問を見事に言語化したものだと感じました。
多くの人が好きで求めるもの
テレビがまだ主流だったわたしたちの生活にはいつもテレビの存在があり、そして、ファッション誌やゴシップ誌など煌びやかな世界にいる人たちや、ブランド店などのキラキラしたものが毎度のように映され、多くの人がそれに憧れてきました。
そして、その煌びやかなモノにあこがれを抱きつつ、自らも、他人からよく見られたいなど「自分を引き立ててくれる何かか誰か」を無意識のうちに求めていたのではないでしょうか。
自分を引き立てる「服、持ち物」
自分を引き立てる「交友関係」
自分を引き立てる「男女関係」
自分を引き立てる「家族関係」
自分を引き立てる「肩書」
といった具合に。
これらは全て他者から自分に良い評価して欲しいからこそ求めてやまず
また、自分の価値がどれ程のものなのかを図る手っ取り早く手に入れられ形の見える判断材料なのではないかと思います。
目に見えない競争が優れる者、劣とるモノを除外していく世界
そしてその「判断材料」の優劣が生むのは他者との比較であり、その優劣を競う苦しい戦いの渦へと巻きこんでいきます。
その中でトップを握れるのは「自分の能力や地位を見せつけようとする優越的なコンプレックスを他人に押し付けることができる人」です。
彼らが自分たちと同じモノを良しとし、それを否定したり超えてくるものに過剰に反応し自分の優越性を押し付け相手を苦しめる。
押し付けられた者が優れていようが、またはそれ以外の面で優れていようともその人たちも他者に「自分を評価してもらうことでしか価値を感じない人」であれば自信を失い、自己不振、他者不振として、その秀でた能力は芽をだすことは不可能な状態へとなってしまいます。
悲しいことに、この現象は日本では多くの家庭、多くの学校、多くの組織で萬栄してしまっており、そこから除外されたものが生きづらい世の中になっています。
それを裏付けるのものが
自殺大国
不登校
引きこもり
児童虐待
いじめ
DV
などの様々な統計となって表れています。
優れていようが、劣っていようが叩かれる社会で生き残る手段は、他人の目を気にするように育った人たちが「波風立てずに普通であり続ける事」であり、「能力を隠す事」でもあり、「皆と同じように生きる事」しか残されていないのです。
日本人の読書時間、勉強時間が大人になるにつれてどんどん短くなり、勉強しない大人がいないのもそのせいではないかと感じます。
「今のあなたで、今の自分で素晴らしい」
子どもを育てる親や、養育者、そして教育関係者などの大人もこういう環境で育ち、それが当たり前と思っている人が多い社会。
当然その大人たちに育つ子供たちも同じような価値観に矯正されていき、無邪気な心、純粋な心、好奇心、挑戦する心など様々な大事なものが削がれていくように希望を失いながら育ちます。
それは、わたしたち大人の社会でも
「今のあなたで素晴らしい。今の自分で素晴らしい。」
「自分は自分で素晴らしい。あなたはあなたで素晴らしい。」
そう思って接している人やそう思わせてくれるような大人が少ないからではないでしょうか?
多くの大人が
「もっと○○でなきゃダメ」
「○○は悪」
といったように制限をかける言葉をかけます。
そういった大人もその親や関わった人たちからそのように接せられて育ちました。
そのまた親世代も然りです。
それらの思考も持ち主の人口が増え、同調圧力が強固なものになったとわたしは感じました。
圧力の外に出ると自由。でも最初は覚悟もいる
わたしは、そんな社会の競争の枠から弾き出された人間です。いわゆる「社会不適合者」ともいえるでしょう。
発達障がいADHDの感じがあり、不注意や気が向かないと集中できない、社会の輪の厳しい規則に添えない特性が多くあります。
そして、親も未だに承認欲求を満たすためにわたしの被害者として生き、周囲の親戚や同僚からよしよしされる事で自分の価値を証明する人です。
だからこそ苦しみ、最終的には「自分は自分であり、他人は他人。」であることに気づき「自分の価値は自分で決めるものであり、他者との比較ではない」と思えるまでに至ったのだと思います。
ですが、同調圧力の社会からの偏見の目は向けられたままです。
でも、よく考えると彼らも苦しいラットレースの中から出たがってるからこそ、「なぜ、お前だけ自由なんだ」という心の奥底の声も聞こえてくるのです。
同調圧力の社会から出て生きることは、それらの声に罪悪感や劣等感を感じない、耳を貸さないという覚悟が必要でしょう。
それが出来れば自由です。自分の責任の中で自由に生きる事ができます。
それは押しつけでもなんでもない。自分の選んで望んだ道であるはずです。
この記事を最後まで読んでいただき有難うございます。
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