ロードアイランドそして消費文化理論
2004年夏休みも終わりにさしかかる頃、私はアムトラックのキングストン駅に降り立ちました。駅には、ドラキア研究室一門のマークさんやジルさんが車で迎えにきてくれていました。マークは京都大学を卒業しており日本語が完璧で、ジルは不動産所有者で私用の住まいを手配してくれていました。駅からニューイングランドの森に入るとすぐにロードアイランド大学のキャンパスです。キャンパスの横を抜けるとやがて海が広がり、避暑地として名高いニューポートとの分岐点に出ます。そこを左折してノースキングスタウンに準備された住まいへと向かいました。夢のような1年が始まったのでした。日本風にいうと2LDKのこぢんまりとした赤くペインティングされた一軒家は、ブエナビスタという名の通りを隔てて海岸線に面していたのでした。
もともとカルフォルニアのアーバインに向かうこころづもりだったのですが、交渉がうまく進まず、ドラキア博士のご厚意でロードアイランドに行き先を変更したのでした。成り行きとはいえ、ドラキア先生はマクロの消費パターン研究の第一人者で、私にとっては憧れの研究者の一人であり、この上ない話であったことは言うまでもありません。ただ、完全に西にいくモードだったので、東部、ニューイングランドに変更ということで情報集めに苦労しました。福岡のアメリカンセンターを訪ねたりしたのですがほとんど情報はありませんでした。インターネットで集められる情報も今ほど十分なものではありませんでした。
さて、到着してしばらくしてキャンパス内の中華料理屋でドラキア先生と対面することになりました。先生はかなりの日本通であり、何も心配いらないと思われました。もっとも、これはいく前から聞いていたのですが、先生ご自身がこの年、サバティカルに入るということで、ご出身のインドをはじめ世界中を旅しておられました。そんななかでも、帰ってくるたびに気にしてくれて、学内や街中のレストランで食事をともにして何かと面倒をみていただいたのでした。
そして、ようやく生活にも慣れた2005年春の新学期、私は大学院博士課程のセミナーにオブザーバー参加することになりました。ニック・ドラキア先生がサバティカルということで、消費者行動論がご専門のルービー・ドラキア博士のクラスを受講させていただくことになりました。URIのマーケティングはこのご夫妻を中心に構成されていました。ルビー先生のクラスに参加することができたのは、ご夫妻のご配慮によるものでした。量的分析を得意とするルビー先生の授業についていけるのか心配がありましたが、私にとっては得難い機会となったのでした。
院生には厳格な指導で知られていたルビー先生のクラスは、毎週10本程度、ジャーナル・オブ・コンシューマー・リサーチなどに掲載されている論文の中から厳選されたものを2時間かけて院生が次から次に報告していくというハードなものでした。少し助かったのは、前半はマクロセッションで、私がよく知っている論文が並んでいたことでした。このマクロセッションの段階で見知らぬ論文が出てきました。ダグラス・ホルトの名前を初めて知りました。トンプソンの名前も前半で出てきたように思います。私がマクロマーケッターであり質的研究に属する研究者であることをご存知のルビー先生からは後半のミクロセッションに進む前に、嫌だったら出なくていいよと告げられました。しかし、後半の論文リストにも今で言う消費文化理論の業績が含まれていましたので、参加させていただくことにしたのでした。
結果は私にとっては大収穫で、参加していた院生ともども消費文化理論の虜になったのでした。もっともルビー先生やニック先生がこの時点で消費文化理論にどれほどの評価を置いておられたのかは、定かではありません。ただジャーナルの編集にも関わっていたルビー先生は、勢いがあって注目されつつある業績群という評価はしておられて、院生に紹介されたのだと思います。ニック先生は、この時点では「そうだなあ。。。」という評価保留の状態だったと記憶しています。
春のクラスが終わって、学生も教員もいなくなってしまったURI図書館で、ニューイングランドの森を見下ろす最上階の広い閲覧室を独り占めして、今まさに姿が明らかになつつあったCCTの業績に再度目を通していく時間は至福の時間となったのでした。
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