発達段階4を受け入れて、楽しめるようになった話
この1年、仲間と出会い、勉強と内省を重ねる中で、自分が発達段階でいえば4段階、自分の価値観至上主義に陥っている事に気が付きました。
4から5に進化すべく、まだまだ4的な考えを持っている自分はダメだなぁ、それだと5には行けないではないか!とダメ出しをしていたのだけど、この最近になってようやく、ネガティブだったり、自分のダメな部分を素のまま受け入れて、「そんな自分もかわいいなぁ」と思えるようになってきました。
レベル4で自分の価値観至上主義である状況、そのため周囲に対してイライラしたり、上下関係で見たり、、という状況をそっくりそのまま、愛して楽しめるようになってきたのです。今の、このレベル4の摩擦や葛藤は今だから感じられること。思いっきり満喫しよう、と思うように。
そして「レベル5に行かなくては」と思っていた部分も、成長至上主義にとらわれていて、「べき」論に支配されていたという事にも気が付きました。
そうなると自分だけでなく、周りの同じようなレベル4的な方たち(日々お会いする経営者やエグゼクティブで多い)に対して、これまでは反発したり嫌悪感を持ったりしていたのだけど、急に「かわいいなぁ」と愛おしく思えるように、、、これも大きな変化!!
「自分の黒い部分、闇の部分も愛する=他人の黒い部分、闇の部分も愛する→愛の幅が広がる&進化・深化する」、という事に気が付いたのです。
こうした経験は、私の中ではまさにパラダイムの展開であり、世界の見え方を大きく変える事になりました。
ある人が、「自分の闇の部分も否定しないでいいのだ。オーケストラにたくさんの楽器があるように、色々な自分を持っていていい。自分自身は指揮者だというイメージをするとよい」、とおっしゃっていて。
その話を聞いたときは「まさにそうだ!」と目から鱗に感じたのだけど、自分自身に当てはめてみると、あまりしっくりは来ませんでした。小人が沢山のイメージだと、自分が分裂しているような気がしてしまうからかな(ビリーミリガンの殺人鬼の話を思い出してしまう部分もあったのかもしれない)。
私の中では、自分の闇の部分も、そうでない部分も、小人が沢山ではなく、一つの大きな魂、心であり、その心・魂が、一つの物体が形状が変わる事があるように、状況に応じて有機的に変化しているというイメージのほうがしっくりくるのです。
ネガティブな自分もポジティブな自分も欠ける事のない自分の一部だし、構成している要素。と書くとオーケストラの場合と変わらないのだけど、もっともっと、密接につながっているというか、一部であり全体であるという考えのほうが私はしっくりとくる。