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 X(旧Twitter)では多くの漫画家さんたちからの小学館への批判ポストが止まらない。
 過去に小学館側とトラブルのあった何人かの漫画家さんたちもそれを告発するポストをしている。
 小学館編集部と相沢友子氏が2/8(水)に出したコメントを評価する声も一定数あるものの、多くの見方は批判的である。
 今回の「セクシー田中さん」の漫画原作改変問題は、ネットではとても大きな動きを巻き起こした。
 YouTubeにも多くの動画が上がっている。
 しかし、地上波のテレビ放送局や、出版社は、「同じ仲間同士」だからという意識があるのだろう。
 公式に一連の出来事を検証しようという動きには全くなっていない。
 失望する。
 返す返すも残念なことである。

【テレ朝版ドラえもん】
 1973年の「日テレ版ドラえもん」から6年後の1979年、今度はテレビ朝日が「ドラえもん」をアニメ化した。
 これは大成功となり、2024年現在に至るまで「ドラえもん」のアニメ放送は続けられている。
 もう45年だ。
 「ドラえもん」は今や「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」「名探偵コナン」「クレヨンしんちゃん」「ワンピース」「ポケットモンスター」などと共に、国民的長寿アニメの1つに数えられている。
 今から思えば日テレはたいへん大きな魚を逃していたわけだが、1973年時点での「ドラえもん」のアニメ化は今から思えば時期尚早であったことは否めない。

・少なかった原作ストック
・まだ十分に固まっていなかった「ドラえもん」の世界観
・「てんとう虫コミックス」未発売
・小学生の間での人気が今一つ

 理由を挙げれば上記のような感じだ。

■少なかった原作ストック
 1973年は、連載開始から3年ほどであり、毎週のアニメ放送を十分満たせる量の原作が無かった。
 そうなると、どうしてもテレビオリジナル要素を入れざるをえなくなる。
 それは、「ドラえもん」の世界観を作者が望まない方向へ変えてしまう。

■まだ十分に固まっていなかった「ドラえもん」の世界観
 また、現在では居なかったことにされているドラえもんの妹分アヒル型ロボット「ガチャ子」の「日テレ版ドラえもん」アニメへの登場。
 作者は大いにこれを良しとしなかったし、リアルタイムで「ドラえもん」の世界に親しんでいた当時の小学生にも、ガチャ子は違和感のあるキャラクターでしかなかった。
 作者はガチャ子の居ないドラえもん世界の再構築を図っていた最中だったのに、テレビアニメがそれに逆行する動きをとってしまったのである。

■「てんとう虫コミックス」未発売
 さらに、「てんとう虫コミックス」の発売は1974年。
 「てんとう虫コミックス」とは小学館が立ち上げた漫画単行本ブランドであり、その第1号が「ドラえもん」だった。
 「てんとう虫コミックス」の存在は、1979年の「テレ朝版ドラえもん」アニメ化スタッフにはかなりありがたかったことだろう。
 過去作品の読み返しが極めて容易になったからである。
 「てんとう虫コミックス」が存在していなかった1973年当時の「日テレ版ドラえもん」アニメ化スタッフには、やはり「テレ朝版ドラえもん」に比べるとかなりのハンデがあったと言える。

■小学生の間での人気が今一つ
 最後に、1973年当時、小学生の間では「ドラえもん」は人気が無かったのだ。
 私は、「こんなに面白い漫画なのに、なんでみんな分からないんだろう!」と、もどかしい気持ちでいっぱいだった。
 小学館の学習雑誌には「新オバケのQ太郎」が同時連載されていたが、小学生に人気があったのはオバQのほうだった。
 1974年の「てんとう虫コミックス」の刊行開始、1977年の『コロコロコミック』の創刊により、徐々に「ドラえもん」は小学生たちの人気を獲得し、ついに1979年、「ドラえもん」は満を持して2回目のテレビアニメ化を果たす。

 小学館が1974年に「てんとう虫コミックス」を出してから「ドラえもん」のテレビアニメ化の1979年まで5年かかっている。
 今の「ドラえもん」人気からは考えられないことだが、当時は日本中に「ドラえもん」の面白さを知ってもらうのにそれぐらいの時間が必要だったのだ。

 私個人としては「ドラえもん」がメジャーになったのは嬉しいことではあったが、反面、何だか知る人ぞ知るマイナー面白漫画だった「ドラえもん」がみんなの知るところとなったのにはちょっと複雑な思いもあった。

 推していた地下アイドルがメジャーになってしまうと何か複雑な思いを抱いてファンをやめてしまう人がいるようだが、当時の私の気持ちもそれに近いものがあったのかもしれない。

 さて、それではアニメ「テレ朝版ドラえもん」と、原作漫画「ドラえもん」との相違点を挙げていきたい。

■ヘリトンボ → タケコプター
 ドラえもんのひみつ道具を3つ挙げるとすれば、文句無しに、タイムマシン、どこでもドア、そしてこのタケコプターとなるだろう。
 ところがこのタケコプター、連載開始当初はこの名前ではなかった。
 「ヘリトンボ」という名前だったのだ。
 ヘリトンボという名前の由来は、道具のデザインを見れば直ぐにピンとくる。
 ヘリコプターとタケトンボからの造語である。
 「ヘリ」と「トンボ」をくっ付けて「ヘリトンボ」だったのだ。

 「ドラえもん」の「てんとう虫コミックス」を読むと、全く同じデザインのひみつ道具が「タケコプター」と呼称されて登場している場合がある。
 こちらの名前の由来も直ぐ分かる。
 やはり、ヘリコプターとタケトンボからの造語なのだが、言葉の合体のさせかたがヘリトンボと反対なのだ。
 「コプター」と「タケ」で「タケコプター」だったのである。

 私は「ドラえもん」の「てんとう虫コミックス」を読んでいて、「ヘリトンボとタケコプターは見かけも機能もそっくりだけど、もしかしたら別の道具なのかもしれない」と思っていた。

 ちなみに1979年のアニメ放送開始前まで、「ドラえもん」作中での呼称は「ヘリトンボ」が圧倒的に多かった。
 漫画第1話で初登場のときから「ヘリトンボ」と呼称されている。
 だが、「テレ朝版ドラえもん」では、主題歌で「はい、タケコプター」と歌われた。

 この瞬間から、この道具の呼称は多数派だった「ヘリトンボ」から「少数派」だったタケコプターへ変更されたのだった。
 私としては、ドラえもんのオリジナルひみつ道具登場第1号ともいえる「ヘリトンボ」の呼称がいきなり変更されたことに、ちょっと釈然としないものも感じていた。
 1973年の「日テレ版ドラえもん」では、同道具の呼称はもちろん「ヘリトンボ」だった。
 ということは、「ヘリトンボの日テレ版ドラえもん」、「タケコプターのテレ朝版ドラえもん」といった区別もできるかもしれない。

 主題歌については、作者の藤子不二雄氏(1979年当時はまだF氏とA氏の2人で1人だった)は当然事前に聴いていたはずだ。
 なので、このひみつ道具の「タケコプター」への呼称統一は、作者公認と見て良いだろう。

■しずちゃん → しずかちゃん
 「ドラえもん」のヒロイン、源静香は原作漫画の中では「しずちゃん」と呼ばれていた。
 しかし、「テレ朝版ドラえもん」のアニメにおいては「しずかちゃん」に変更されていた。

 「タケコプター」「しずかちゃん」この2つの呼称変更については、「ヘリトンボ」「しずちゃん」では「聴き取りにくいから」というのが理由だったようだ。
 後年、アニメ元スタッフの水出弘一氏の書かれた著書『ドラえもんと野比家の謎』にそのように書いてある。

 作者公認であるのなら、それは良いだろう。
 この2つの変更については、原作漫画の世界観を大きく損なうものでもない。

■バカ → ドテピーマン
 これは、子どものアイドルであるドラえもんが「バカ」などといった言葉を発するのはふさわしくないという理由から、当時のドラえもんの声優の大山のぶ代氏がアドリブで変更したものである。

「ジャイアンのバカヤロ!」
      ↓
「ジャイアンのドテピーマン」

というように。

 「ドテピーマン」というものが極めて謎なのだが、おそらく「ドテカボチャ」のカボチャ部分をピーマンに変更した言葉と思われる。
 ドラえもんが「バカ」といった言葉を発しなかったことは、アニメキャラクターのドラえもんをとてもソフトな存在として視聴者の子どもたちに印象付けることとなった。

 「テレ朝版ドラえもん」の登場により、ドラえもんは「日テレ版ドラえもん」のときの落ち着きのないドタバタしたキャラクターから、国民的アニメの主役にふさわしい、ほのぼのとしたソフトなキャラに生まれ変わったのであった。

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