漫画原作改変問題に思う(1)
漫画「セクシー田中さん」の作者 芦原妃名子さんが亡くなった。
「セクシー田中さん」ドラマ化にあたり、脚本家やテレビ局サイドと生じたトラブルが原因である。
謹んでご冥福をお祈りする。
アニメにしろ実写にしろ、漫画原作が映像化されるに当たっては大なり小なりの改変が加えらえれるのが殆どだ。
私の認識する限りでは、漫画原作に極めて忠実だったアニメは白土三平氏の「サスケ」だった。
映像化に当たって改変が加えらえるのは理由がある。
連続テレビの場合、原作の量が足りないと、オリジナル要素が加えられる。
漫画の表現が過激な場合、テレビ放映にあたっては表現が抑えられる。
原作量が多い場合、放映期間内(テレビの場合)や上映時間内(映画化の場合)に納めるため、内容をカットする。
古い作品の場合、今だと問題とされる描写があるときは、それを変更する。
――等々だ。
漫画家によって、改変OKな方もいれば、改変NGの方もいる。
芦原妃名子さんは「セクシー田中さん」実写化にあたって漫画原作改変NGの漫画家だった。
原作に忠実に作ることを条件に実写化をOKしたのに、上がってくる脚本は原作を改変したものばかり。
その修正のためのやり取りに疲れ果てての、今回のいたましい出来事となった。
私のこれまでの視聴経験の範囲内での話で恐縮だが、漫画原作が改変されて「良かった!」と思わせたケースはほとんどない。
「なんでこんなふうにしたんだ!」
と思わせる例ばかりだった。
その1つ1つについて書いていきたい。
【タイガーマスク】
実はこれは、私にとってはテレビアニメ版のほうが「良かった!」と思わせたレアケースの1つ。
ラストでタイガーマスクの「中の人」である伊達直人が亡くなってしまうのが漫画原作、正体がばれて皆の前から去るのがテレビアニメである。
私はこれは、アニメ版のほうが好きだ。
実は原作者の梶原一騎氏もこのアニメ版のラストを気に入っていたらしい。
【侍ジャイアンツ】
梶原一騎氏原作の漫画が2作続くが、これも、私にとってはテレビアニメ版のほうが「良かった!」ケース。
ラストで主人公の番場蛮が力尽きてマウンド上で立ち往生で亡くなるのが漫画原作、これまでの全ての魔球の合体魔球を投げて相手バッターを打ち取るのがテレビアニメである。
これも私は、アニメ版のほうが好きだ。
主人公が亡くなってしまうというのはやはり抵抗がある。
少年漫画の最後は、強敵に勝って終わってほしい。
【太陽の使者 鉄人28号】
横山光輝氏の漫画「鉄人28号」が原作。
これも「よかった!」ほうのアニメ作品。
「ショタコン」という言葉を生み出すことになったアニメ作品だ。
鉄人を操縦する金田正太郎が可愛い男の子として描かれたことから、以後、ロリコンに対してのショタコンという言葉が使われるようになったのだが、私が推す理由はそれではない。
私個人としては、ずんぐりした原作漫画のデザインの鉄人より、洗練されたスマートなデザインのこちらの鉄人のほうが好きだったのだ。
また、主題歌も良かった。
【人造人間キカイダー】
石ノ森章太郎氏原作の萬画だ。
ちなみに、石ノ森章太郎氏は漫画を「萬画」であると宣言した。
本稿でも、石ノ森作品に限っては「萬画」表記を使うことにする。
昭和時代には、萬画版と実写版のキカイダーがあった。
平成時代には、萬画原作にわりと寄せた内容でのアニメ作品も作られた。
キカイダーの場合、萬画を原作として実写化が行われたわけではない。
東映が特撮番組を企画し、そのキャラクターデザイン等に石ノ森章太郎(当時は石森章太郎)氏が原作者として関わったのが本作だ。
萬画は萬画で週刊誌連載、テレビはテレビで毎週放映、登場人物たちはある程度共通ではあるものの、全く別物のストーリー、それがキカイダーだった。
子どもの頃の私は、キカイダーを通して「そういうものだ」と学習した。
石ノ森作品に限らず、テレビと漫画は違って当たり前、違うのが当然なのだと学習したのだ。
ちなみに後年、キカイダーの原稿は実は石ノ森章太郎氏本人がペン入れしていなかったことが明らかになった。
当時のアシスタントの方々が、あまりにも多忙だった石ノ森章太郎氏の代わりに、氏の鉛筆下書き原稿にペンを入れていたことを明かしたのである。
どうりでキカイダーだけ、石ノ森章太郎氏のほかの作品と比べて絵の感じが違うなあと思っていたが、そういうことだったのだ。
石ノ森章太郎氏原作の特撮番組はたくさんある。
「仮面ライダー」「変身忍者嵐」「ロボット刑事」「イナズマン」「がんばれ!!ロボコン」「秘密戦隊ゴレンジャー」「宇宙鉄人キョーダイン」etc.
これらには、石ノ森章太郎氏が描いた萬画もあるが、みな短編である。
そんな氏の特撮作品の中で、(鉛筆下書きだけだったとはいえ)氏自身がいちばん長く描いたのがキカイダーである。
いずれも原作というよりも、テレビ放映と並行して描かれたもので、今でいうメディアミックスだ。
内容はどれもキカイダー同様、テレビと萬画は全然違う。
石ノ森章太郎氏の特撮作品でいえば、当時からテレビと萬画で違うのが当たり前だったから、それで文句を言う人は誰もいなかった。
【サイボーグ009】
では、サイボーグ009の場合はどうだったか。
何誌にもわたって掲載され、3度のテレビアニメ化、映画化、オリジナルビデオ作品も作り続けられ、石ノ森章太郎氏によっては遂に完結することのなかった氏のライフワークと呼ばれる名作である(息子の小野寺丈氏が石ノ森章太郎氏との対話や残した資料を元に後年完結させた)。
3度のテレビアニメ化は、どれも原作に忠実なものとはなっていない。
それでも、2001年に作られた3作目はかなり原作に寄せて作られたが、ベルリンの壁や黒人、障害者の描写などに、どうしても時代の変化を考慮せざるをえない要素が原作にあり、それらはアニメ化にあたり変更された。
サイボーグたちが搭乗するメカも、スポンサーの玩具メーカーがデザインした、原作とは異なるものとなった。
サイボーグ009のアニメ化でいちばん大きく原作と改変された点を挙げるなら、第1作白黒アニメでの007の扱いだ。
原作では40代中年男性だった007が、1作アニメでは9歳の子どもなのである。
子ども向けアニメなので、登場キャラクターにも子どもがいたほうが人気が出るだろうとの制作陣の考えだったらしい。
事実、子どもの007はいちばん人気だったという。
石ノ森氏にしてみれば不本意だったろうが、アニメ化にあたり、007を子どもにするという条件をのんだようだ。
それをふまえ、現在も刊行されている原作萬画には子どもの007が登場するシーンも少し残されている。
「永久変身」で007はずっと子どものままとする描写もかつて萬画の中にあったのだが、現在はそれは無かったことになっている。
挙げだしたらキリが無いのだが、アニメ化されたサイボーグ009は原作と違う箇所だらけである。
ただ、石ノ森氏も「アニメはアニメであり、自分の描く萬画とは別物だ」という、ある意味諦観というか、悟りのようなものをもっていたのだろうと私は思う。
多作で膨大な原作が映像化された氏であるから、その1つ1つに十分関わる時間を取ることができなかったという現実もあっただろう。
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