「もはや何を言っても許されない段階にきてしまっている」漫画原作改変問題に思う(7)
■これまでも329人の漫画家たちがつらいめに遭わされていた
私も、ネットのユーザーたちも、なぜ今回の「セクシー田中さん」事件に対してこんなにも怒っているのだろう?
私は「セクシー田中さん」を観るまで、芦原妃名子さんという漫画家を存じ上げなかった。
なので、私は取り立てて芦原先生のファンだったわけではない。
ないが、今回のことには怒りが湧いてくる。
他の多くの人々も同様だろう。
思うに、これは、日本において長らく漫画が映像業界に搾取されてきた構造が露呈した出来事だすからである。
ハインリッヒの法則(ヒヤリハットの法則)というものがある。
1つの大きな出来事が起きた背景には、29のヒヤリとさせる中くらいの出来事があった。
さらに、300のハッとさせる小さな出来事があった。
――という、危機管理の考え方だ。
今回の「セクシー田中さん」事件の背景には、死にまでは至らなかったものの、同じように苦しい思いをさせられた29の漫画家たちの事例があった。
さらに、大きくはなかったかもしれないけれど300もの、やはり漫画家たちを苦しめた事例があった。
合計すれば、表には出てきていないが、これまで329人もの漫画家たちがつらい思いをさせられてきていた計算になるのだ。
ハインリッヒの法則を知らなくても、ネットユーザーたちは、ファンたちは、それを感じ取っている。
そして、実際に、これまで自身の作品の映像化でつらい思いをさせられたり、出版社とトラブルがあったりした漫画家さんたちが、次々とメディアでそのことを発信した。
柴田亜美氏、佐藤秀峰氏、ヤマザキマリ氏、ヒガアロハ氏、雷句誠氏、島本和彦氏、高橋功一郎氏、新條まゆ氏……、挙げればキリが無い。
私達ファンは、だから怒っている。
大好きな漫画の作者である漫画家さんたちに、つらい思いをさせ、出来上がってきた映像作品は、漫画作品を貶めるようなトンデモな内容のものばかり。
映像制作会社と脚本家、出版社は金儲けのために、原作が原型をとどめないほど改変されても意に介さない。
漫画家がそれで何かを言ってくれば、うるさがる。
「原作者とは会いたくない」
「原作通りじゃなきゃダメですか?」
等と、のうのうと言う。
今回、芦原氏を攻撃した相沢友子氏や泉美咲月氏らは、
「知りませんでした」
「今、鬱なので」
と謝罪もせず、逃げも隠れもしている。
今回の「セクシー田中さん」事件は、日本の漫画界の根幹にかかわる大事件だ。
優良な漫画作品が次々とぞんざいに消費され、漫画家たちは半ば強制的に安価な原作料のみで作品を蹂躙され、心を傷つけられる。
今回のことを機に、周りの人々が大きな声を上げなければ何も変わらないだろう。
■もはや、何を言っても許されない
もう、こういう段階にきている。
日本テレビも小学館も相沢友子氏もそれが分かっていたのだろう。
「何を言ってもどうせ世の中許してくれない」
「言えば言ったで、言葉尻とられてまた非難の嵐」
「じゃあ黙ってよ」
こんな感じだった。
だが、黙っていればいるほど、非難の嵐はすさまじくなる一方。
ここで、小学館と相沢友子氏は天秤にかけた。
黙っているのといないのと、どちらのダメージがマシか?
黙っていようがいまいが叩かれるが、叩かれ方がマシなほうはどっちだろう?
そして選んだ選択肢が、2024年2月8日(木)の、それぞれ小学館と相沢友子氏からのコメント発表だったのだろう。
事実、両者のコメントを評価する意見が、ネットでは一定数見られた。
黙ったままでは、全面的な袋叩きが更に続いていたことだろう。
だが、2月8日にコメントを出したことで、一定数の人々からは、叩かれることが治まったのだ。
両者の目論見はその点、一定の成功を収めたといえよう。
小学館と相沢友子氏がコメントを出したことで、今は日本テレビの動向に注目が集まっている。
2月14日(水)現在、日テレは「セクシー田中さん」事件に関して、いまだに沈黙を続けている。
■結局これは、業界の構造的な問題
「セクシー田中さん」事件は、ジャニーズ事務所の性加害問題、松本人志氏の性加害疑惑と同じ要素をもっている。
そこには、強者が理不尽な権勢を振るい、弱い立場にある人たちを苦しめている構図がある。
そして、ジャニーズの件にしろ、松本氏のことにしろ、今回の「セクシー田中さん」事件にしろ、テレビは積極的に報道したり検証したりといったことは行わない。
なぜか?
答えは簡単だ。
自社に不利益になるからだ。
金が儲からなくなるからだ。
企業は営利を追求するために存在してる。
人助けやら、ボランティアやら、慈善事業をするために存在しているのではない。
企業が動くのは、儲けるためである。
その「ついでに」人助けや、ボランティアや、慈善事業を行う。
日テレの24時間テレビがそれだ。
日テレの24時間テレビが始まったのは1978年だった。
当時、中学3年生だった私はよく覚えている。
ピンクレディーの
「ようやく諸君も気が付きましたね~~
愛することが当たり前なら
『愛』という字が要らないことに」
という印象的なキャンペーンソングで大々的にコマーシャルが流れていた。
この歌を聴いて、私は、
「別に雨が降るのだって、人が死ぬのだって、当たり前だけど、『雨』という字も『死』という字もあるぞ」
と内心ツッコんでいたが、それはここでは置いておく。
私はこの24時間テレビに、当時からとてつもない偽善のニオイを感じていた。
私は思った。
「そもそも、この24時間テレビなんか行わないで、この番組の制作費用、タレントへ支払うギャラなどを、そっくりそのまま寄付すれば、一般人から募金を集めるより桁違いのお金が集まるではないか。
本当に『愛』のために行っているのなら、そうすべきだろう」
だが、もちろん、そんなことは行われない。
あれは、人々の善意を掻き立てることで、巨大な「慈善ショー」を行っているのだ。
テレビ局には番組放送により巨額の広告収入が入る。
出演していたタレントたちだって、もちろんその趣旨に賛同したから出演したのではなく、ギャラが支払われるから出演している。
本気の慈善の心でお金を集めるつもりなら、自分が貰えるギャラをそっくりそのまま寄付したら、多くの一般人から集めるより、何百倍、何千倍のお金が集まったことだろう。
日テレも、広告収入をそっくり寄付すれば良かっただろう。
だが、もちろん、そんなことは行われない。
行われないどころか、24時間テレビで集めたお金は、これまで着服されたり紛失されたりしていたことが先日あきらかになった。
先述のハインリッヒの法則でいえば、この報道された内容だけではあるまい。
背後には、中額の29件の着服、少額の300件の着服があったはずだ。
募金の着服問題は、これまでもいろいろなメディアで取り上げられたことがある。
街頭で行われている、よく分からない募金活動。
あれが、本当に困っている人々に届いているのかどうか、極めてあやしい。
わけの分からない、名前も聞いた事も無いような団体の人が、街頭募金に立っているが、あのお金は一体誰のもとに、どのようにして届けられているのか?
明細の報告義務も何も無い。
横領、着服されても、世間は知る由もない。
何のことはない、募金だ何だとお金を集め、結局は募金活動をやっていた連中の飲み食い資金になっていた――などという事例を私は複数回知っている。
だから、私は募金はしない。
税金を納めた方がまだマシである。
少なくとも税金は使途が募金よりは明らかにされている。
税金とて100%適正に執行されているとは言い難いが、募金よりははるかにマトモと私は考えている。
話があちこち飛んだが、漫画および漫画家の方々に、今回の「セクシー田中さん」のような事件が、今後2度起きないよう、業界が改善され、法整備が進むことを、私は願う。