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音楽に救われた中高生活
こんにちは。チョコ次郎の夏改め、菊次郎の夏です。前回の記事が、ぼくのいた、横浜の聖光学院で終わっていたので、聖光学院での思い出から、書き始めたい、と思う。
中学三年生だった、2001年の9月11日にアルカイダによる、同時多発テロが起こった。その頃から、勉強しなくなったように思う。学校は、中高一貫の男子校なので、勉強しなくても、高校には上がれた。勉強で、ものすごーいストレスを感じていたことも、一因ではあった。それまでは、全国有数の進学校で、成績は、比較的良い方であった。それまで、低い藝術と見做していた、音楽も聴くようになった(特にロック)。カトリックの学校だったので、キリスト教について学んでいたのだが、キリスト教徒である、U2の80年代ベスト盤を聴いて、衝撃を受けた。ロックとゆう音楽の藝術としての高みを感じたのは、デヴィッド・ボウイの「ジギー・スターダスト」である。
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U2と同じくアイルランドのバンド、コアーズも聴いていて、女性ヴォーカリストに対して、初めて、「自分」を感じた。(それは、椎名林檎氏に、その座を明け渡すまで、続いた)。東京事変の「女の子は誰でも」を聴いて思い出したのだが、コアーズのヴォーカル、アンドレア・コアー氏に対しては、あの、男の子が、好きな女の子のことを「自分に近いんじゃないか?」と直感し、女の子のことを知るにつれて、確信してゆく、悦びがあった。(私見だが、自分に似たお相手が最高の恋愛対象ではないか?)特に、アンドレア・コアー氏のカヴァー・アルバム、「Lifelines」がそれに当たる。よく森へ行って、今は懐かしきMDウォークマンでコアーズを聴いていた。Blankey Jet Cityの「John Lennon」とゆう曲でも、
「音楽って 不思議だよ
すべてが見える その人が
抱いてる全ての世界が まるで
いつまでも押し寄せる波のように」
と歌われている。
U2やコアーズのおかげで、愛に目覚めたのだが、その愛の世界とは、東京大学名誉教授の安冨歩先生によれば、「この世界は、人間が、自分自身を愛し、その愛の力で盲点を次々と乗り越え、溌溂として生きる、そういう世界です。そこには友だちしか居ません。友だちでない人は、皆、以前、あなたの住んでいた、自己嫌悪ワールドの住人だからです。友だちしかいないので、恐怖も不安もありません。あなたはゆっくりとしっかりと時を刻み、時が来れば、この世から去っていくばかりです。」とのことである。
実際、友だちも変わり、聖光学院が、ケータイ禁止だったせいで、連絡先を知らなかった彼らとは、統合失調症を発症し、法政大学を退学したあとも、Facebookを通じて実際に再会することができた(全員、慶應ボーイ)。偶然にも、大学でゼミに入れていただいた後藤浩子先生は、ダブリン大学で博士号を取得された、アイルランド経済の大家であられた(アイルランドつながり)。後藤先生からもぼくが発症した後の休学中に、担当されている、社会経済思想史の聴講を、お許しいただいたのであった。ちなみに、哲学者でもあられる、後藤先生のゼミでは、フランスの大哲学者である、ミシェル・フーコーを後藤先生や、ゼミ生とともに、読んでいた。