「しない」をしてみよう
ーー「しない」をしてみよう
「しない」をするって、まったくもって "何をするよりも" かんたんなこと。だって、それをしなければいいのですから。。。ところが、「なにもしない」と心に決めてみると、それが思ったよりも難しいことだと気づくかもしれません。
自宅で奥さんに言われます。
「あんた日曜の昼間から、なにやってるの?」
そして会社の上司に言われます。
「おまえは上半期にいったいなにをやっていたんだ?」
お母さんにも言われます。
「勉強もしないで、なにしているの?」
こういった何気ない会話や期待(それは時として期待を伴っている)に、なんの悪びれることもなく「何もやってません」と答えられる人がいったい世の中に幾人いるでしょう?
この子は川でほんとうに「なにもしていなかった」のです。ただあるがままを愉しんでいただけなのです。
ところが、それを母親(社会)は理解できません。だから、小鳥の声を聞いて癒やされていただとか、頭を休めていただとか、すべての行動と非行動を理由で埋め尽くそうと努力するのです。
こうやって子供は母親(社会)の期待に応えようとし続けるのです。
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まずは、質問をやめてみる。
あなたはこれまで無意識のうちに、何を「している」のか?という質問を他人に対してあまりにたくさん投げかけていたことに気づくと思います。
「何もしない」ことを受け入れられないのは、実はあなた自身です。それは無意識に社会の中で習慣化した観念がそうさせています。
そして自分の意識に意識的であるよう心がけてみる。
誰かの「なにもしない」を受け入れることができれば、自然にあなた自身の「なにもしない」を受け入れられるようになります。
りなる
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