義務教育の正体
全国的に夏休みが明け、学校が始まり出します。
私の子供が学校に通うようになった時、いったい義務教育とは何なのか考えて、調べたことがあります。
義務教育は、ナチスの強制教育から始まりました。
親の思想ではなく、国家の思想を洗脳する機関として機能します。
うーん、ここが根っこです。
子どもの教育は大事なのに、学校教育が歪つな原因がここにあると思います。
ドイツ連邦共和国では、子供には「教育を受ける権利」と「就学する義務」が定められました。不登校が発覚した場合は、本人の登校を強制され、保護者も処罰される。これはナチス・ドイツのヒトラー政権に制定された、徴兵制と同様の強制力を持ちます。
義務教育とは徴兵制です。
学校の閉塞感はここにあります。
日本が敗戦後、GHQによって日本国憲法が作られました。日本の思想をコントロールするために、大衆にはマスコミ、産業には行政、子どもには親の影響を外せる義務教育で、洗脳支配が始まりました。
「教育を受けさせる義務があると定められている(日本国憲法26条第2項前段)。これを無償とする」とありますが、学校界隈には他国にはない、制服産業、ランドセル産業、こんな時代でも毛筆セットなどなど不必要なものまで有料です。いや無償という名の税金にしろと言ってません。親子のためではなく、学校産業のための義務教育になっていると思います。
「教育を受ける権利も有している(第26条第1項)」で、「教育を受ける権利」「教育を受けさせる義務」の双方について法律で定めることが想定されており、保護者は、学齢期の人を小中学校などに通学するようにする義務があります。これを就学義務(就学させる義務)という。
「義務の履行の督促を受けてもなお履行しない者は10万円以下の罰金に処する」。保護者は処罰されない例としては、不登校、いじめ、校内暴力などの教育問題との関係によります。
義務教育といいながら、罰則規定があいまいです。つまり義務ではないです。
ワクチン・マスク・時短営業などの強制イメージしながら任意だとするのは、戦後から行政の特質ですね。
「義務教育なのだから、子どもは学校で勉強しなければならない」という意見は、「ワクチン打ってマスクするのは、国民として周りに人のための義務である」という意見と同じですね。
「児童を一般の労働者として使用してはならない(労働基準法による)」。
これが一般的には良い面ですね。戦前などは、子どもは農作業に駆り出されたりして学校に行かせない親が多かったのでしょう。
結局、義務教育とは国家の都合のいい洗脳機能の要素は否定できません。
子どもの教育の為には、捉われる必要ないですね。罰則もないし。
既存学校教育では親の成績と相関関係にあります。つまり、人のほんの一部の能力しか使えてないのが学校教育のようです。
他国ではもっと柔軟で、アクティブラーニング、ホームスクールで、結果的に親以上の成績や個性になるそうです。もちろん一概に言えませんが。
確かに、親が子供を都合の良いように操ってはいけない。
しかし、親が洗脳しなくても、学校が洗脳する、ネットや友だちが洗脳する、どうせ他から影響という名の洗脳があるのだから、親が責任持って洗脳する、正確に言えば、社会通念に捉われず、親子で別のやり方を探していってもいいと思います。
人は人によって育ちます。
狼に育てられたら、DNAによらず、狼のようになります。
後天的に人は育っていくのだから、学校に捉われず、環境に捉われず、いつからでも始められると思います。