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感情が豊かでいとおかし

ピアニストやヴァイオリニストは、音だけではなく、顔芸なほどの表情や、指先まで使い感情を表現する。
顔で弾いていると言ってもいい。
聞き手に、感情を誘っている優しさだろう。
個人的には、わざとらしさがないような抑え気味の表情が好きだが、自分が入ってしまったようなキャラが立ってる演奏者も魅力的だ。

一方で、人形浄瑠璃文楽の人形遣いは、全く表情を変えない。
もちろん人形の表情は変わらない。

顔が変わらないのに、人形の顔が変わるように見えるほどに豊かな心情を人形で表現する。
繊細な表現に、見る方の感情が高まる。

能でも、シテ(主役)の面(オモテ)も、全く表情変わらず繊細な感情を見せる。
能は老女が活躍する曲が多い。角度だけで表情してる。

より娯楽性を増した歌舞伎では、見得というデフォルメした感情表現が、形式美にまで上げている。
自然な感情表現でなく、その先を表現する。


スピリチャルや心理学では、感情を素直に出すことがススメられている。
社会の中で自分の感情を抑えるから、自分が表現できず苦しめているとされる。
1面ではそうだろうが、そんなこともないと思っている。

SNSではアゲアゲ。みんな幸せいっぱいのアピールしてる。
その反面に愚痴愚痴。みんな不満をブリブリ吐き出してる。
SNSだけでなく、家族や友人に向かって嫌味を含めた感情豊かに表現してる。
十分に感情が出まくりの社会だろう。

個人的には、「感情が豊か」ではなく、「興奮しているだけ」じゃないかと感じたりする。
感情を表現しなくても、感情はにじみ出てくるものだ。


数年前に見に行った娘の小学生の運動会でも、いろいろ感じることがある。
徒競走で、勝って跳ね喜ぶ子供もいれば、負けて泣き伏せる子供もいる。
子供らしいけれども、そのまま大人になって、感情豊かと興奮をはき違えている人間性のままにいくような気もする。ただ目の前のことに過剰に反応しているだけのように。

一方で、勝って微かに満足した雰囲気、負けて微かに口角が下がる、見せない感情の姿振る舞いで感情が豊かに伝わってくる子供もたくさんいる。
子供らしくないと言う人もいるだろうが、心に刻んでいる何かを感じてる、良い表情であると思っている。

即物的な反応よりも、経験を学んでいる感じがする。

もちろん、わかりやすい対比を表現しただけで、感情を語るにはこんな単純なことではない。
しかし十人十色の表情を見ると、素直な表現とは一概に言えないと感じる。
個人的には、繊細な表現をする事に心が響く。


よく日本人は、表現が抑えるから悪いと語られる時もよくある。
ほんとにそうなのだろうか。
運動会の流れで、先のオリンピックの柔道で、阿部詩選手が負けて泣き崩れたシーンに賛否両論があった。
日本人は感情を抑えるのが美徳とし過ぎで、負けて泣いて何が悪いと言う論調もあった。
しかし、グッと胸に秘める東欧選手などたくさんいる。
勝って口をぎゅっと閉め、感情を抑えながら苦しい練習を思い出してワナワナ抑えてる外国人選手を見る。
どこの国の人でも、感情の表現は人それぞれだろう。

舞妓がフラペチーノ飲んで、「美味しい〜⤴︎」と興奮を見せるより、ぽつりと「…美味しいおす」と言う方が感情豊かに感じる。

絵画など表現物でも、幸せ満開の花いっぱいなのもあれば、荒野の中でポツンと咲く一輪の花の美しさもある。

クラシックバレエで、1番のお気に入りの演目は「ジゼル」だ。
無重力感で踊るクラシックバレエは、ジゼルのウィリ(幽霊)でこそ真価が発揮する。
幸せ笑顔で踊るプリンセスが多いバレエの中で、男に騙されて死んでしまったジゼルが幽霊になってさえも守ろうとする、無表情で幽玄に踊る姿はとても感情的だ。
能でも気が振れてる怨霊は面の表情が変わらないまま狂気の表現がテンション高まる。


古今東西、感情を素直に表現するとは、興奮を表現するとは違うと感じる。
表現しなくても滲み出てくるのが感情。
逆に言えば、滲み出てる感情を感じる繊細さが豊かな感情という事かもしれない。


ふと思い出した。
この曲も、抑えた感情の中に、豊かな感情がある。
森田童子「ぼくたちの失敗」



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