美味しい価値のあるところ
変な自慢や歪んだ自画自賛になりそうなので触れなかったが、気づいたことがあるので書き記す。
私は自分の作った料理が1番美味いと思っている。
娘も食べながら今までで1番美味いとよく言う。
妻も外食しているのより美味いから同じの作れと言う。
自分で調理すると、味付けを考えたり、食材の特性を工夫したり、試行錯誤して自分の好みに仕上げることが出来る。
私も若い頃から美味しいとされるところで色々食べた。
美味しいけど、外の誰かが作ったもので、ホントの美味しさでもないと感じてた。
厳選された食材なんかも、権威主義の幻想。スーパーの野菜だって作れば美味い。
外に価値を求めずに、内に価値を持つ、
これに通じるのに気づいた。
与えられる喜びなんてマヤカシ、
自分で作る喜びでこそホンモノ、これに尽きる。
料理自慢をしたいわけではない、インスタ映えを狙ってるわけではない。
どうせ大した料理ではない。
私の家族は、私のエネルギーによって作られてるからであって、私が他人に出しても美味いと思われないだろう。
一説には、手にはそれぞれ乳酸菌があり、その手で漬物など発酵食品を作るからそれぞれの味になるとのこと。
自分の乳酸菌を自分と家族が食べるから美味しいだけかもしれない。
これもまた乳酸菌が波動の一つな気もする。
いくら腕の良い料理人でも、人間性が合わない手の乳酸菌から作られるから大したことないと感じるかもしれない。
いや料理の話ではない。
自己の創意工夫で自分を喜ばせるのであって、外の何かから喜びを得ようとしないでいい、喜びは自ら作る話であろう。
料理の話で例に出すなら、
江戸時代は、サンマは下魚で上流階級には避けられてた、マグロのトロは捨てられてた。
今の方が貧しい食生活である。
そんな貧しい判断基準で外の世界から喜びを探しても、間違った判断で欲の連鎖するだけ。
内の世界の喜びを得たら、豊かな判断能力ができ、外の世界へも良い判断が出来るだろう。
などと自分の料理を食べながら、気づいたことです。