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どんなにがんばっても返せない奨学金の話

私は実家が太くなかったため、高校生の頃から大学、大学院までたくさんの奨学金にお世話になりました。

育英会(現在の日本学生支援機構 JASSO)を始め、民間の奨学金、大学独自の奨学金など、申請できるところは申請しまくり、お金をかき集めました。

当時は大学教員か研究職に就きたいと思って自分なりにがんばっていましたが、学振が取れるほど優秀な学生ではありませんでした。

したがって、大学院時代は、奨学金とバイトだけで、学費と生活費(当時は一人暮らし)をやりくりしていました。

学位取得後はしばらくは高学歴ワーキングプア状態でしたが、いくつかの奨学金を少しずつ返していました。

つい最近、最後の奨学金を返し終わり、やっと債務から解き放たれたはずなのですが、心の隅っこで「まだ返していない奨学金」への返済義務感が残っています。

全部返したんでしょ?と思われるかもしれませんが、気持ち的に「返せていない」奨学金があるということです。

それは大学院の時にお世話になった完全給付型の民間の奨学金です。

よくある企業の奨学金ではなく、個人の善意から設立された基金でした。

設立された方は、若い頃、大学で学びたいと思っていたそうですが、時代的、金銭的な理由で、進学を諦めたそうです。

その後、真面目に働きながら株などで資産を増やし続け、でも、ご自身は慎ましい暮らしをなさっていたそうです。

どうして自分でお金を使わずに貯め続けていたかというと、昔、自分が諦めた進学の夢を若い人に託したいと考えていたからです。

そして、莫大な資産を元に、基金を設立し、苦学生の大学・大学院進学の支援を実現したのです。

当時はそのような尊い奨学金をいただけて非常に感謝したのですが、あれから随分時間が経って、はたして今の自分は設立者が願うような人になっているのかとふと思う瞬間があります。

あの奨学金でいただいたのはお金だけではなく、将来の夢をかなえて欲しいとか、世の中の役に立ってほしいとか、いろんな思いがあったと思います。

今もなんとか地方の小さな大学で教育と研究に従事してはいますが、これだけしか返せていないというか、全然返せていないというか、今の自分は設立者の方にどんなふうに見えるのかと思ってしまいます。

ニュースなどで給付型の奨学金の話題があがるたびに、ふと、この奨学金のことを思い出し、もっとがんばらねばという思いになります。



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