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お魚を愛しすぎた娘の小さな過ち

ディズニーと水族館とどっちにいきたい?

と聞くと迷うことなく

水族館!と小さなころから一貫して
魚が好きだったわが娘。

🐟

子どもの頃好きだったのは

1,さかなくん
2,でんじろう先生
3,いしちゃん
そして、「猫の恩返し」にでてくるバロン

となんとも、突き抜けたタイプに
惹かれる子だった。

ちなみに、
さかなくんは水族館まで見に行って
そのにぎやかないるかショーの全てを
おさめたビデオをなぜかどうしても
今も時々みたくなる

でんじろう先生のショーも見に行った
今でもでんじろう先生の著書は
我が家の本棚にある

いしちゃんだけは実際に
お会いしていないけれど
長年ファンは変わらない。

そして、東京にあるジブリ美術館の
売店で猫のバロンのグッズを
懸命に探したけれど、たった一個しか
見つけることができなかった。

しかも、小さな銅像(笑)

高くて買えなかった。

🐟🐟

話が大幅に脱線してしまったけれど
とにかく、娘は魚が好きだった。

近くの水族館には一年に2~3度いったし
大人になった今でも、ほぼ毎年いく。

セイウチの前にいけば、ガラス越しに
熱烈にアプローチを受けるのも毎回のこと。
とにかく水族館でできる体験はすべてした。

整形外科の待合室の水槽や
家で飼っていためだかも

そして生物の授業は大好きだった

その原点となるのは実は魚屋さんだ。

まだ歩けない頃から、近くの魚屋さんに
毎日のようにいっていた。
トロ箱の中にたくさんの氷といっしょに
アジがいっぱい入っているのを
毎日見ていた娘は魚屋さんの魚通だった。
魚が眠るときに目をつぶらないことを
私が知ったのはその時だったけど
同時に知った娘はすごいと思う。

🐟🐟🐟

まだおしゃべりを初めて
ごく間もないころ
ママと
「わんわ」(わんわん)しか
語彙がなかった
(ママ以外はすべてわんわとよぶ不思議な時期)

次に覚えたのは
「とーと」(お父さん)
「おとと」(魚)だった

まだよちよち歩いていたころだ。
とーと、と、おととの
どっちが先だったかは
誰も知りようがないとおもう。

そして、

語彙力が15個くらいに増えたころ
その出来事は起きた。

ある晩のことだった
父親が帰宅した。

「ただいま~」

すると娘は両手を広げて
玄関に向かって
とっとことっとこ走りながら
父親に向かっていく
(かわいくてたまらないシーンだ)

しかも父親を呼びながら

「あ~~~じ~~~~~」

と。

断っておきたいが、彼の名前は
「アジオ」でも「アジノスケ」でもない

よばれた本人は?という顔をしていたが
私はぴんっときた。

「〇〇ちゃん、アジじゃなくて
 とーとだよ?」

そう

とーと → おとと → あじ

と脳内がこんがらがってしまった娘は
こともあろうが父親を「アジ」と呼んでしまった。

🐟🐟🐟🐟

可愛い可愛い我が子の小さな過ちを
思い出すたびに、ほっこりする。

別れた夫氏も覚えていてくれると
いいなと思う。
私たちが別れた後も、
彼が父親であることは変わらない。
私よりもずっと短い娘との時間を
大切に持っていてくれたらいい。

そのうち、高級すし店のカウンターで
父親と美しく成長した娘と2人で
魚と日本酒でいっぱいできたらすてきだね

とそっと願っている。

ちなみに、娘はまるでネコのように
魚を食べるのが上手だ。
焼き魚とか、大変美しく骨だけ残す。

私は魚を食べるのが下手なのに
どうやって覚えたんだろう。
天性のものなのかもしれない。

<゜)))彡<゜)))彡

お友達のsachiさんのとてもほっこりする息子さんとの
添い寝の話を読んでいたら、sachiさんがこの企画に
参加されていることをしって、
思い浮かんだのがこの思い出でした。

こどものことに限らず、
思い出って目に見えないけど
まるで色とりどりの花束みたいだと思います。
しかもいつまでも色あせなくて

私は祖父母との思い出もそのひとつで、
因業なおじいちゃんとの思い出も
今、コツコツ(笑)書いているところです。




この記事は下記 #第二回ほっこり大賞 に参加しています。






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