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「大丈夫」の狭間にあるもの|障害と私とゆるめの自己受容

NHKで放送されている #かぞかぞ こと、
『家族だから愛したんじゃなくて、
愛したのが家族だった』
を見るのが
私のさいきんの楽しみです。

8/27に放送された第6話では、ついに
note(ドラマではALL WRITE)が出てきた!
と胸が熱くなりました。


ときは戻って先週の第5話の放送後、
原作者の岸田奈美さんがXでポストされた内容が
すごく印象的で。


大切な人を亡くすという経験をしていない私には
奈美さんの本当の気持ちはわかりませんが、
障害受容について自分が考えていたことと
すこし似ているなあと感じました。


私は中学生のときに骨肉腫というがんを経験し、
からだの機能障害と手術跡が残っています。


以前『がんと生きた軌跡を写真にのこした話
という記事を書きましたが、私は障害のことも
自分の強みとして捉えています。
障害があっても、「大丈夫」だと。



でも、ふとした瞬間、

なにかうまくいかないことがあったり
人とくらべたりしてしまったとき
あ、大丈夫じゃないかも
と思うことがあります。


障害受容( 障害を受け入れること )」とは、
あるきっかけにより障害を乗り越え、前向きさを
取り戻すというようなイメージかもしれません。

先ほどの記事を書いたとき、夫がXの紹介文で
「noteを始めて、どんどんポジティブに
なっていく妻
」と書いてくれました。

が、じつはすこしだけ違和感を感じたのは
障害受容というのは単に右肩上がりではない
と思っているからです。


なんとなく毎日を過ごして、
ああこんなもんか、大丈夫じゃんと思っていたら
ふっと「大丈夫じゃない」がくる。

「大丈夫」と「大丈夫」のあいだに
「大丈夫じゃない」がある。

( ときには「全然大丈夫じゃない」もあったり )


岸田奈美さんはそれを、四季のなかの
「冬みたい」と表現されていました。

私の感覚では、四季よりももっともっと
不規則で、予測できないものだと思っています。


でもわかっているのは、やっぱり四季のように
そのうちまた春がくるということ。

だから、慌てずじっくり春を待ちます。


一見受け身のようですが、そもそも私は
「障害を乗り越える」という感覚がなく
障害は共存していくものだと思っています。

なんとなく心の片隅にずっとあって、
ときに大丈夫だったり、
大丈夫じゃなかったりするもの。

立ち直るとか、乗り越えるとかじゃなく
なんとなく付き合っていくもの。


先述の私の記事のタイトル、
『がんと生きた軌跡を〜』には
「がんと“ともに”生きている」という思いが
込められています。


そしてこれは、
障害受容に限ったことではないと思います。


生きているといろいろなことがあって、
ときどき泣いたりすることもあるけれど、
ゆる〜く共存しながら
明日も笑っていたいです。



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