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ガラパゴス教育の撃沈

人はなぜ勉強をするのだろうか.多分いくら考えても解の出ない問だろう.

私自身も月に3、4冊のペースで本を読むのだが、なぜ読むんだい.と聞いても、何か人間の味わいがあっていいんだよねえ.としか回答できないと思う.

別に勉強をしなくても人間という生物界で頂点を握る種族としての名前は消えないし迫害されることもないだろう.

それでも学びたがる.別に自己啓発本の話をしたい訳ではなく、学ぶならどうせなら自分にあった効率的な勉強法を身につけて常に勉強したいよね.ということが言いたいのが今回の内容だ.

変化のない勉強内容

勉強という概念は1870年代から始まった.学制というプログラムから今の教育に至る.歴史はどうでもいいのだが、今の教育内容が数十年前とほぼ変わっていないのが問題なのである.

ここ数十年で社会は大きく変わった.しかし教育の根幹は何も変化していない.細かいところの話をすれば毎回学年集会の名前を借りて体育館に全校生徒を集め校長が長ったらしい話をするのも意味のわからない教育だ.

生徒を並ばすときに前ならえをさせ体育座りをさせるとか軍隊教育の名残だ.今時同じ教育方法を行っているのは中国くらいだろう.

それほど遅れをとっているのが日本の教育だ.教育内容に目を向けてみても高校までIT関係の教育はほぼ行われることはない.経営者を目指している人向けの授業なんか存在しないし、財務諸表を読めるのは商業科の人間か自分で勉強した人以外読めないだろう.

将来エンジニアになりたい人が国語の古典なんか学んで何になるのだろうか?落合先生のような多方面に草鞋を履いているような人以外必要ない.

要は今の教育には無駄が多すぎるということだ.

しかし小学校教育と中学校教育は重要だと思っている.小学生のうちはまず初歩的な理解が必要となり中学校でも多少の応用を使う.実際の改革対象は中学校3年生と高校生だと私は思っている.

将来の職業が段々と確立され、それに向かって学びたい意識が出てくるのが、思春期ら辺からだからだ.この時期に自分のなりたい職業のための勉強を始めてみようと考える人が出て来る.

僕の学校は少し特殊で総合科という枠組みの中にいる.総合科では自分の将来に向けた教育が行われるから美術系の進路だと美術に特化した授業を受けることができるし、公認会計士とかだと簿記の授業が受けれたりする.

それでも効率が悪いなと思う節は多い.なぜに校則という枠組みで学校の風紀を正せようとするし、謎の集会が行われる.ボランティア活動が強制なのも意味が理解できないだろう.

高校生だからだろ.という意見も聞くが実際に僕らに対してのインセンティブは極めて低い.自分からの行動ならまだしも強制的に行動させるのは軍隊と同じだ.なのに今も尚続けられる.不思議でならない.

不登校は本当に悪いのか

最近の教育ニュースで話題になることといえば、不登校児童の問題だ.学校に行きたくない.いじめられる.そんな話で学校に行かない生徒がマイノリティでも一定数いるようだ.

しかし何故学校に行くように皆仕向けるのだろう.

不登校でもカウンセリングという名目で学校に行ったり、単位を取るために学校に出向いたり、テストを受ける名目で学校に行ったり.全て家でもできるじゃないか.

なんなら普段の登校時間も削れるし、場合によってはその時間を使って運動をしたり本を読む時間に当てられたりする.

まず学校に行く考え方自体が古いのかもしれない.

実際に超難関大学と言われるミネルバ大学の授業は全部リモートだ.世界中のどこにいても授業を受けることができる.旅行中に授業を受けるのもよし、授業を聞くだけならランニング中でもお風呂の中からだって授業を受けることができる.

そこで私は不登校児童こそが学校に行くという常識を覆せる存在であると思っている.行く意味を持てないのであれば自ら家で勉強すればいい.

集団生活を重んじるおっさんがいるが、社会では集団生活よりも個人の能力を重視する方向に動いている.他人との付き合い方よりも自己能力をどこまで伸ばせるのかが肝になってくるのだ.

少し前に国がGIGAスクール構想を提示してこの学校に通う風習は少し解決するかと思ったが、全然違った.残念だ.

児童に無理やりデジタルバイスを押し付けたような教育になってしまった.さらには授業中にデジタルデバイスの使用禁止が促され、調べ学習は本を使い紙ベース、電子辞書を使わせるところが多い.

なんのためのデジタルデバイスなのか理解できない.子供は勝手に使いこなすし、お前らみたいな教育ジジイとは違うんだと言って新しいことを見つけてくる.

自分の中で勝手に効率化を図るだろう.なのに大人はその可能性を踏み躙る.残念さながらクソ教育と言っていいと私は思う.

マイノリティの意見を見たがる「自称教育意識高い系」

いつも世間はマイノリティの事象に目を向けたがる.確かに重要なことだ.LGBT関係の話を聞いている社会から見てもらえず、政策もきちんと整備されない中で苦しんでいる話をよく聞く.

社会としてマイノリティの立場にある人たちを救っていくのは重要なことだ.LGBTに限らず聴覚障害者や目の見えない方も同じである.

それを同じように教育にも向ける人間がいる.それが自称教育意識高い系である.彼らはまず子供の可能性を踏み躙るかのように規制をしたがる.デジタルデバイスでも教育に関係の無いことをしだすからダメだ.

紙ベースでやらないと意味が無い.子供の目が悪くなる.外に出なくなるだろ.と言ったものだ.

彼らは制度的な変化を好まない性格にあるようだ.単なる意識高いというよりは外野寄りの、黙っとけよ.と言いたくなるクソ集団だ.

ちょっと言葉が荒くなったが教育の改革にはマイノリティの意見を重視するよりもまず行ってみる必要がある.何故ならば全ては可能性の話だからだ.意外にも違った結果が得られることは稀なことではなく、実際に実装してみるとわかることが多い.

そうやってまずは実装してみる.ダメだったら何かの解決方法を考える.そういう思考が必要となって来るのだ.

今後必要となるのは教育機関の中での実験的な教育施設を開放し全国から人を集めて先進的な教育方法を試す場所を作る議論も進んでいくのではないか.と思う.

教育の均衡化など必要ない.先進的な教育を受けれるものとゆっくりと地道に教育を受けるもので差別化を図るのも新時代の理解だ.

教育はAIに任せて教師は身体性を提供する

今の教育は教師一人に生徒が30人弱という構造が一般的だ.授業時間は朝の8時半ぐらいからスタートして3時くらいに終わるのかな.移動時間を踏まえると労働限界時間のギリギリになってしまう.

そんなの疲れるに決まってるし、ほぼ毎日が同じ行動のサイクルでは飽きてしまうだろう.では学校に行かないでオンライン授業に変更させればいい、さらにいえば自分で授業の日程を変えればいいのだ.

授業の日程を人間の手で行うには中々疲れる作業となってしまう.そのときに登場するのがAIを使って一人ひとりに特化した授業日程の提案である.

例えば今までの生徒何万人という単位で採取したテストデータや作文のデータなどから個人に特化した学習サポートAIの作成が可能となる.データ採取に関してはGIGAスクール構想で支給されるデジタルデバイスに蓄積させ、国がデータを分析させればいい.

データは大量に存在する.一人ひとりに特化した学習の提案ももちろん可能な話である.教師も人間じゃなくてもいい.今でもオンライン授業のスタディーサプリがあるし、何ならYouTubeで無料で見ることもできる.

それをAIによって学習サポートをさせれば人間教師の必要性はなくなる.では完全に人間が必要ではなくなるのか?というとそうではない.

例えば進路のことで進めてみよう.君は進路で行きたい高校を決めた.さあ勉強を始めようというとき、AIが学習サポートで行っても正直やる気は出ない感じがするかもしれない.

それは人間であるために起こる行動だと思う.要は身体性がある生身の人間によるサポートの方が勉強意欲ややる気を出させてくれる.

別に研究結果ではないのだが、確かに.と思う人はいると思う.受験に失敗して泣いているとき、やる気が出ないとき、友達と喧嘩してしまったとき、AIに何かされても困るのは自分じゃないかなと思う.

そこで人間の登場というわけだ.正直今の話は現在進行形の感情ベースで話しているため未来の子供達は何を考えて要るかは分からないが多分数十年後の子供達も自分と同じ感情にある.AIによる学習サポートと人間による感情のコントロールこれが最善策なのではないかと私は思う.

人間とAIの大きな差は身体性の確立が今現在優秀であることだ.まだ人間と瓜二つのAIロボットは存在しない.だからこそ人間は身体性の必要な場面で活躍し学習など仮想空間でも可能な問題に関して任せるという結論を出した.

AIによる教育のおかげで我々は拘束を解かれる

今現在の軍隊教育に近い教育から縄が解かれ自由な行動を手に入れることができる.高校生が毎朝通学で満員電車に乗ってストレスを溜めることもなければ、他人と関わりたくない人は関わらずに勉強を行うことができる.

毎日AIによって組まれた時間表を元にランニング中に、買い物中に、お風呂の中でもトイレの中でも授業を受ける.

自分の身体を最大限まで労わりながら、楽しみながら、自分の学びたいことを学べる生活.それが学生の本分なのかと私は思う.カーンアカデミーのような高校の存在感もありかもしれない.

学校は勉強をする場所から勉強をサポートする場所、コミュニケーションを取る場所となり、無理な強要はなくなる.

それには今の教育の問題点を見直し、仮想空間への移行が必要になるし、適応力も必要になる.今教育で教えるべきなのはAI社会に移行するマインドセットと可能性の拡張の倫理的な部分を教える必要があると信じる2023年の8月猛暑.


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