
Dear professor ryuichi sakamoto
僕が初めて教授と出会ったのは大島渚監督の『Merry Christmas, Mr. Lawrence 』だった。
当時中学生だった僕は映画のオープニングから流れる“あの音楽“の虜になっていた。北野武さんが捕虜兵トム・コンティを起こすところからスタートするのだが、あの音楽は儚いようにも聞こえたし、身を奮い立たせるような猛々しい音楽にも聞こえた。
あの映画音楽があってあの映画がある。それを実感した瞬間だった。
一方の本人は30秒でメロディが思い浮かんだという。ピアノの前に座り、無意識に目をつぶって次に目を開けた時には、あのメロディが和音付きで五本線の楽譜上に見えていた、というのだがら才能は恐ろしい。
それからというもの僕は坂本龍一さんのファンになった。まずは音楽家としての姿を知りたいと思って『音楽図鑑』とか『エスペラント』のアルバムを買ったりしてみてはずっと聴いていた。
エスペラントは東南アジアっぽい民族音楽が特徴的なのだが、音楽図鑑は全く違う。正式には『音楽図鑑』が最初に発表されて次に『エスペラント』そして『未来派野郎』と続くわけなんだけど、その中でも『エスペラント』は語らずにはいられない名作。
脱構築的な音楽表現は音楽の根本的な美しさに帰結したような印象を受ける。実際の本人も『エスペラント』の方向で音楽を続ければよかったと思っていたそう。それほど素晴らしい作品である。
これ以上喋ってしまうと終わりが見えなさそうなので、この続きの話はファン同士のコミュニティに残しておきたい。
そんな坂本龍一さんではあったが命というのは本当に儚いもの。NHKの特集番組『Last Days 坂本龍一 最期の日々』を見た時は胸を引き締められる思いがした。
その後、2023年にイギリスでVRコンサート『KAGAMI』が上陸した。あの時のまるで復活したかのような感覚は今でも残っている。
以前、人が亡くなられた時に、その方のAIが電話で喋ってくれるサービスの特集記事を読んで「結局はいないではないか」と思っていたが、実際に自分が体験してみると全くその感覚に寄りかかりたくなってしまうのである。
そして2024年12月に『音を視る 時を聴く』が東京都現代美術館の展覧会が始まった。
『音を視る 時を聴く』
12月の先行チケットが発売されてから直ぐにチケットは購入したものの用事が重なり十分なほどの時間を確保することができなかった。そして年が明けた1月7日、ついに念願の坂本龍一展に行ける時間を手に入れた。

入り口からソワソワしてしまう。

入り口から入ったところには『坂本龍一 + 高谷史郎TIME TIME>』による3つのディスプレイに映し出される映像と朗読される夏目漱石の「夢十夜」は一見、映像との関係性が内容に見えながらどこかに繋がりがあるような感覚を覚える。部品は別々ながらも完成される作品には一体感がある。
そのまま真っ直ぐ進むと『坂本龍一 with 高谷史郎<IS YOUR TIME>』の作品が見える。暗闇の中に天井に設置されたディスプレイが部屋一面の光闇を決める。そして、ディスプレイの真下に設置されているのがピアノであった。
ピアノといっても音楽を奏でるわけではない。このピアノの役割は地球との交信である。
このピアノは世界各地の地震データによって音を発し、地球の発するシグナルに共鳴する。
視覚化された地震は少なくとも人間に影響を及ぼしていると考えると今もこの記事を書いている最中にも地震が起こっているのか、、、地球は生きているといっていた化学の先生は正しかったのかと意味もないことを思う。


空間に足を踏み入れると、薄暗い異空間に吸い込まれたような感覚が広がる。宙に浮かぶ水槽から立ちのぼる霧が、かすかな水の匂いとともに場を満たしているのだ。
坂本龍一と高谷史郎によるインスタレーション《LIFE-fluid, invisible, inaudible…》は、坂本氏が手がけたオペラ《LIFE》を脱構築し、新たな表現へと昇華した作品である。足を止め、水槽の間を漂うように歩くと時間の流れを超越し、まるで過去と未来の境界線が消え去ったかのような、異質な時空間がそこには広がっている。
その静寂と神秘に包まれた空間には、言葉にしがたい緊張感が漂う。霧の中に浮かび上がる映像と音は、目に見えず耳に聞こえない何かを暗示しているかのようである。ひとつひとつの水槽に映し出される情景が、まるで未知なる真実をそっと覗かせているような錯覚を覚えさせる。

一歩外に足を踏み入れると、霧が漂い、光が揺らめく。その瞬間、この世とあの世の境界が曖昧になるかのような、不思議な空気に包まれる。
坂本龍一、中谷芙二子、高谷史郎による《LIFE-WELL TOKYO》は、霧の彫刻 #47662としてその姿を現し、訪れる者の五感に問いかけてくる。
霧はただの物理現象ではなく、まるで生命を宿した存在のように、時に静かに、時に大胆に空間を埋め尽くす。その奥深くから響く音楽は、聴く者の記憶を呼び覚まし、忘れていた懐かしき感情をそっと揺り動かすかのよう。
このインスタレーションは、単なる視覚や聴覚の体験を超えている。この場所に立って初めて視覚情報が全くの無意味になり、頼りにするのは上空にただ晴々とした空と冷たい霧に身を任せることしかできない。
そして最後の坂本龍一氏が透明のディスプレイに映し出された姿とピアノが共鳴する『坂本龍一×岩井俊雄<Music Plays Images X Images Play Music>』は1996年の若かりし坂本龍一氏のパフォーマンスが描き出される。そこにはピアノに向かって一心に弾き続ける坂本龍一氏の後ろ姿が映し出され、少し目頭が熱くなった。
人はいつかは寿命を迎えるというが、人間たるもの認めたくない感情がどこかにはある。それだけではない言葉に表すことのできない様々な感情があの瞬間に映し出された。
最後に
この『音を視る 時を聴く』は、とてもアカデミック的な作品でありながら、印象に訴えかける作品である。最初の3つのディスプレイを完全に理解するためには夏目漱石の「夢十夜」を理解しディスプレイに映される英語と漢文(中国語)の美しさを理解しなければならない。
作品のコンテクストを知り、作品を視るということが試されるわけである。
坂本龍一が遺した作品を視る観客もまた視られているのかもしれない、、、、、
