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うつの人に頑張れと言ってはいけない理由

うつの人に、なぜ「がんばれ」と言ってはいけないのか

家族や友人、社員などがうつと診断されたとき、
「ウツの人に『がんばれ』を言ってはいけない」という話はけっこう知られてきているのではないかと思います。

自分もカウンセラーとして、そう対応していたつもりでしたが
実際に体験して気づいたことが多かったので
うつになってしまった人への実際の対応や思いやりの参考に、具体的な理解を深めるために記録しておきたいと思います。

この記事は、更年期にうつ状態を体験して回復するまでの間に気づいたことを書いています。今うつ状態の方、過去にうつを体験した方がフラッシュバックする可能性がありますので、ご注意ください。

気づいた時には手遅れでした…

3年ほど前、どうもなにかと落ち込みやすくなって、やる気が出なくて
どうやら更年期でホルモンバランスが崩れたせいで鬱っぽくなっていたと気づきました。
はじめ、婦人科に行っても漢方薬を出されるだけで、ホットフラッシュがひどくて熟睡できないほどだったため、ホルモン剤を処方してくれるドクターの所へ。
ホルモン剤はがんのリスクがあるからと警告されたこともあって、できるだけ薬を減らして、気分の落ち込みくらいはカウンセリングやコーチングで習ったポジティブ思考を使ってなんとか出来ないか?と、もがいていました。

今考えると、ホルモンが急激に変わっているような「物理的」な理由のときは、
思考を変えるとかより、やはり食べ物(栄養)や、運動、苦しいときは薬も活用していくのは大切だと痛感していますが…
当時は、まだ気づいていなかったのでムリをしてしまいました。

それまでは、うつを治療している人に「がんばって」と言ってしまうと、
「これまでもずっと頑張ってきているのに、『これ以上どう頑張ればいいの?』と苦しめてしまうから」だと聞いていて、
プレッシャーが強くなることでノルアドレナリンやアドレナリンホルモンが多くなって、よけいに不安や心配な気分にさせたり、落ち込ませてしまうことになるからだ…と思っていました。

実際のうつ状態は、ポジティブホルモンが出ない(または極端に少ない)ために、
「楽しめない」「だるい」そして「自分を責めてしまう」のがデフォルトな状態なので、「楽しい」「希望がある」「やる気を持っている」のとは真逆ですし、
普通にしていてニュートラルではない状況。
でも、動けるうちはまずムリをして頑張ろうとするし、何か楽しいものを探して気分を上げようとする、誰かに言われなくてもがんばろうとする、もがいてしまうんですね。

それは、足がつって溺れそうになっている人がもがくような感じ。

ただし、がんばってもその疲れを癒すための快感ホルモンが出ないので、
いったん落ち込んでしまうと自力で浮上することができないわけですから、
誰かに手を引いてもらってムリやり浮上させるくらいでなければならない。
それがムリなら、じっとして「これ以上エネルギーを消費しない」ようにしていないと動けなくなってしまう。

治ってからは笑い話にできますが、
「毎朝太陽光をあびて、上を向いてバンザイすると良い」「鏡に向かってウソ笑いでも笑顔をつくると、脳が幸せホルモンを出してくれる」「深い呼吸で瞑想する」ほか、知っていることや聞いたことをいろいろ試しました。
そうやって、なんとか日常を保っていました。

なんとか自分を騙しだまし頑張って仕事をしたり、薬で抑えて出かけたりしている人もいると思いますが、それが通用しなくなって、たとえば知らないうちに涙が出ていたとか急に笑い出したとか、もう自分で制御できなくなって医者にかかるとしたら…
うつだと診断されたときには、すでにいっぱい一杯になっていることが多いと思います。伸び切ったゴムがちぎれそうになっているような感じ。

そこに「がんばれ」と言ってしまうのは、
溺れていた人が、必死でもがいて何とか顔を水面に上げたのに、頭を押してまた沈めてしまうような感じ。
自分がそうされたら、笑って許せるかどうかをイメージしてほしいと思います。

気づいたときはすでに力尽きている

うつ病と、うつ状態の違い

うつ病はれっきとした病名がついていて、過去には「心の風邪」と呼ばれたりしましたが、今ではストレスによって脳の一部が縮小してしまったり、
脳内でセロトニンというホルモンが分泌されにくくなり、その影響が感情や生理現象に出て、生活に支障が出ている…等々
分かっていることが多くなって、薬の使い方も工夫されていると思います。

病気なので、物理的に特定のホルモンが足りない状態。
がんばるほどノルアドレナリンやアドレナリンが出るわけですから、どんどん疲れてしまうのに、その疲れを癒すためのドーパミン(快感ホルモン)やセロトニンは出ない(出にくい)…

それはまるで
火事なのに、消火する水が運べないところで、風を煽られているかのよう。
戦争で目の前の敵と戦っている最中に、砲弾が足りない…みたいな。
うつで苦しんだことがない人にはまったく想像できないかもしれない。私自身、体験するまでの知識と、体験してからの理解は深さが違いました。

ケガは自然に治るでしょとか、疲れは自然に癒されるか努力で癒すもの、
火事なら水をかければ消せるんだから、と思っている人が多いかもしれない。
でもすでに「防火用水」が枯れて、水が一滴も届かなかったとしたら…
灰になるまで燃え尽きてしまう…

一方で、うつ病とまでいかない、うつ状態(鬱屈状態)の場合は、なんだかんだ
気分を変えたり、生活を変えたり、考え方を変えたり、運動をしたり、体に悪い食生活をやめたりすることがなんとか可能で、改善されることも多いと思います。
つまり、行動を変えることでホルモンの状態を健康的に保つ(もどす)ことができるレベル、ということですね。

でも、何かでその限界を超えてしまうと、
ホルモンという物理的なものが影響しているので、自力で改善するのはなかなか困難だと言えます。

動けなくなるのは良いことだった

(全員がそうとはかぎりませんが)中で何が起きているのかというと
ウツになって、今までと同じことができなくなって
「どうしよう?どうしよう〜!」と戸惑いながらもがいていて、
「がんばって元通りにならなければ」とか、「まわりが心配しているから元気にならなきゃ」とか、必死になったり不安がつのっていく。

それなのに、じっさいの自分はぜんぜんやる気を出せないとか、ぼーっとしてしまうとか、思うようにならず。だんだん不安になって死にたくなったり。
弱音が吐ける環境ならまだしも、心配させないように、または恥だからと思って溜め込んでしまうかもしれない。
薬が効いている間はいいけど、今度は「薬に依存したらどうしよう」とか悩んでしまったり、起きている間中ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるポジティブ思考とネガティブ思考がめぐっていて(だんだん眠っている間も不安が優ってきて)
それだけでもうすでに疲れ切って、さらに無気力になってしまったり。

アクセルとブレーキを一緒に踏んでいて、1メートルも進んでいないのに、ガソリンだけ消耗しているような状態。
ノルアドレナリンは怒りのホルモンでもあるので、こんどはイライラしはじめる…自分に対してイライラして自己嫌悪、それを家族にぶつけて関係悪化の悪循環。

怒りを抑え込むと、こんどは恐れに入れ替わるので、
何でもかんでも理由なく怖くなってしまって動けなくなる人もいると思います。

気分を上げようとしてポジティブな言葉をとなえれば唱えるほど、現状との差が見えてしまうので疲れ切って、「こんなことで落ち込むなんて」とか「なかなか良くならない」とか、ダメな自分を責めてしまってさらにネガティブホルモンが出て、最後は動けなくなるか、人生を終わらせたくなってしまう。

だから、
ボーっとしたりぐったりして思考停止になっていた方がマシだったんですね。

努力するほど危険

鬱々としたり落ち込んでしまうのは(快感系の)ホルモンが足りていないからなので、それが「病気(症状)」ではあるけれど、ホルモンさえ整えば気分は変えられるはず…

私はカウンセラーとしての知識があるから…と思っていろいろ試してみたところ、たとえば、普通ならポジティブ瞑想をすることで、なんとか良いホルモンを出すことができるからとそれを続けていたんですが…

物理的に足りないものを気力でなんとかしようとするのは、
ガソリンの入っていない車を念力で走らせようとしているようなものであり、
腱が切れているのに腕を動かそうとしているようなものなので、
故障して動かなくなる・二度と走れなくなることになるんですね。

あるとき幸せのビジョン(イメージ)を瞑想していたら、
ガーッとネガティブホルモンが出てくるのがわかりました。そして目の前が暗くなっていく、まるで視界が黒い霧でおおわれるような、『呪術廻戦』のトバリのような感じなったのです。

それはアルバムの中の「幸せの笑顔の思い出写真」を黒く塗りつぶされてしまうような感じでした。

すべてが暗いイメージに塗り替えられてしまう

このまま「幸せ」の思い出を塗りつぶされてしまったら、「幸せビジョン」にアクセスすることができなくなってしまう!
ハッと気づいて、瞑想をストップさせて、塗りつぶされるのを阻止しました。

脳ってそんなこともするんですねー

こんどは趣味だった小物作りをしようとしたら、とたんに視界に黒い霧がかかってきて…その風景は、ある心理学系のマンガで見たことがあったので、すぐに気づいて行動を止めたのですが。
もし、あのまま頑張ろうとしたら、好きだったことや楽しかった思い出をすべて暗いイメージに変えてしまうところでした。
(余談ですが、昔読んだ「ドカベン」の柔道編で、空手家の牙くんの師匠の必殺技「万年(まんねん)蹴り」をお爺ちゃんが受けてしまい、全身に痛みが広がってしまうのを、主人公山田太郎が気絶させることで食い止めたのを思い出しました)

それはまるで、
テーブルに置かれたごちそうや飲み物に、誰かがサッとやってきて、苦い粉をドバドバかけられてしまうような感じ。
ぜんぶが苦い味にされてしまい、苦い味が上書きされてしまうところだったので、好きなことを考えるのを一旦止めました。

それを自分が体験するまで、まさかそんなふうに感じるとは思ってませんでした。

うつの報告では、視野が狭くなり下ばかり見てしまう、という話を聞きましたが、
笑顔のアルバムを塗りつぶされて、楽しかったことを思い出せなくなる」という感覚です。
あのまま頑張ろうとしていたら、探しても探してもアルバムの中から笑顔の写真が見つけられない!全部塗りつぶされて消えている!(汗)となるところでした。

リアルホラー体験のような世界…

何かを楽しむというのは、楽しむホルモンが必要なんだと実感しました。
楽しいから良いホルモンが出るというだけでなく、良いホルモンが出ているから楽しめる。

健康体なら、毒性の強いノルアドレナリンホルモンが出ると、楽しむというより「戦う充実感」になるのかもしれませんね。
普段ならその後にかならずセロトニンやドーパミンなどの快感ホルモンが分泌されることで中和され、バランスを取り戻せるわけですが、
ドーパミンやセロトニンが出にくくて、疲れを回復できないまま毒性ホルモンが蓄積されていくのが「うつ」と言えます。

間違ったアドバイス

以前、ある娘さんから最近母親がうつっぽくて心配ですという話を聞いて、善かれと思って「何か好きなことをやってみたら?」とか「前に好きだったことをやってみたら?」なんてアドバイスをしたことがありました。
なんてバカなことを言ったんだろうと今は反省しています。

うつになっていたら、「楽しむことがそもそもムリ」なんですね。
楽しいホルモンが出ないから、まず楽しいことを考えられない。
ムリして楽しいことを考えると毒の霧がかかってしまうから、考えない方がいい。

そんな状態だから「がんばって」なんて言葉は論外
「追い詰めて殺す気か?」くらいの悪行と言えます(汗)。

スピリチャルなメッセージでは
「うつになるのは、悲しみや悔しさをガマンし続けたから」
「それまでの生き方から、もっと自分に合った生き方にチェンジするため」とも言われるので、それまでの行動を「ストップさせる」ために動けなくなるなら良いことなわけですが、それに気づいていない人は不安になってしまうと思います。

なんとか気分だけでも浮上させようとして、おもしろそうなテレビを見てみたり
(よくありがちなのは)あまり脳を使わないゲームに夢中になってしまったり…
でもそんなことでは、周りの人から「サボっている」と思われてしまうし。

南の島でのんびりしながら大脳辺縁系を癒して、釣りでもして生きるための最低限の行動で「脳幹」を活性化していったら、元気になれそうなんですけど…

ポジティブホルモンが出れば回復…

現実には、帰宅してからの生活は?仕事は?収入は?なんて考えたら、
この先の自分にはそんな体力や気力もなくて助けてくれる家族がいなかったら…とか、このまま嫌われてしまったらどうしよう…などとよけいなことまで悩んで、さらに暗くなってしまうかも。

だから、必死でもがいてようやく水面に浮上している状態の人に
「がんばれ」と言ってしまうと、「もっと無理をしなさい」という意味になるから突き放したことになる。追い詰めてしまうから、応援にはならないんですね。

解決は、その人のストレスをとりのぞき、
一方で、ひたすらセルフイメージ(自己肯定感)を上げること。
「がんばってるんだね」と言う方がまだ合っている。

ありがちな態度には理由があった

更年期の女性がホルモンバランスを崩しているときに、アイドルを追っかけしたり、充実した仕事を持っていたり、かわいいお孫さんの子育てを手伝ったりしてワクワクホルモンが出せると、なんとか辛さを乗り切ることができたりしますね。

だから、ついウツっぽくなってグチを言ってくると、家族や親しい友人は心配になるし、笑顔を見たくて「何か楽しいことでも探してやってみたら」と言うことがあると思いますが、それは危険かもしれません。

セロトニンやドーパミンなどのポジティブホルモン(やる気ホルモン)が少ないときは、世界が灰色に暗くなって見えているので、
過去に楽しかったことや嬉しかった思い出ですら、思い出したとたんに、そこにネガティブビジョンが挟まってきます。(私のときは黒い霧がかかりましたし)

「旅行が好きだったよね?」
 --でも、出かけて疲れたら人に迷惑をかけてしまう
「趣味のあみものでも再開したら?」
 --もう目が見えづらいし手も震えるからムリ
「友達とおしゃべりでもしたら?」
 --若いころや元気なときはムリして相手に合わせてきたけど、じつは気を遣う人間関係だったことに気づいてムリ
…とかとか。

一見、何を提案してもネガティブな心配ごとで否定してくるので
「良くなる気がないの?」「マジメに考えてるの?」「心配してるのがわからないの?」と思うかもしれないんですけど。
(ふだんからネガティブ発言をしてグチっている人だと、よけいに「またいつもの態度?」と思われてしまうでしょうけど)

いや、
ネガティブホルモンが作用していると、一生懸命ポジティブになろうとしても
あっという間の“一瞬で苦しいビジョンに塗り替えられてしまうんですよね。
意思の力ではどうにもならない。左脳の海馬あたりからつよく響いてくる、地獄の魔王のような「呪いの声」…
もともと自己肯定感が低い人ほど「そんなのムリに決まってるよ」と
あきらかに魂の本質(無条件の愛とか承認とか)とは違った声がひびいて来たり。

それを食い止めないと、どんどんネガティブ連鎖が起きて、
「このまま苦しいままなら、死んでしまった方がいいかも」などになりかねない。

だれか受容的な家族や友人がいて、
「私も治ったから、いまはムリしないで栄養を摂って、自分をねぎらう言葉だけ聞き続けるといいよ」などの安心感のある言葉をずっと聞き続けるとかしないと、
誰もいなくても、起きている間じゅう(意識がある間は)ネガティブな言葉で自分を責めてしまうので、否定的な人が近くにいたり、ひとりぼっちになっていたら危険だと思いました。

心得として

あなたが健康で、誰かうつの人がそばにいるときだけでなく、
もし何かで自分がうつっぽくなってしまった人のためにも、心得となるような気づきを書いておこうと思います。

・うつの人は、うつが発覚する前にすでに独りでがんばって一杯いっぱいになっている可能性が高いので、それ以上ムリをさせない
・その人が弱いとか悪いとか失敗者だというのではなく、自分の本質に合わない場所でがんばってきた人が、生き方を変える段階に入った、と考える
・自己肯定感が下がるので、同時にそれも癒す
・そういう状態だということを本人にも自覚(把握)してもらい、体力の回復も同時におこなう

もし間違って、うつの人にうっかり「がんばって…」と言ってしまったら、
なにを頑張ってもらうのでしょうか?

あえて答えを作るなら、
「休むこと」を一生懸命やってもらう。「自分を責めないこと」を手伝う。
--でしょうか。

自分を承認してくれる人とのんびりした時間を過ごして、
まず体力を回復すると同時に、
考え方を柔軟にするために、「無条件の愛」について学んで実践している人と過ごす。
有給休暇をとって南の島に行って、健康的なものを食べて過ごす。
…とかなら、がんばる意味があるかもしれません。

本当は、まず原因をとりのぞくことと、休ませながら回復をはかるべきで、
ケガなら安静や痛みをとることが先なのに、心は見えないからおざなりになりやすいですが、セルフイメージを高めることも同時進行でおこなってほしいです。

木々のみどり
うつで止まるのは、より自分らしい道に進むため

(この記事は、後で情報を追加する可能性があります)

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