自分の人生、やりたいことで埋めたい
「やりたいこと、全部やりたい。
自分の人生を自分で決めるための方法」
立花佳代さん著
最近読んだ一冊。
自分が将来の生き方、仕事の仕方に悩んだ時に
あるインスタグラマーさんが紹介していたことをきっかけに
手を出してみました。
本の中ですごく響いた文章を
まとめていきます。
間違いない。自分はこんな性格だから~とかこんな経歴しかないから~とかで勝手にストッパーをかけていたかもしれない。
自分の人生の主人公は自分自身。やりたいと思ったことは無謀でも
一回手を出してみよう。
人間自分が一番大事。自分のために行動を起こすことで楽しむこともできるし、続くもの。人のためという考えももちろん大切だけど、自分が我慢してやっていることってなんでか続かない。もっと自分に素直に行動したらいいんだ。
自分が楽しいと思うことは饒舌になるけど、興味ないことや心がこもっていないことは熱心に話せないし、なぜか中身が空っぽな気がする。
それにそれを伝えている時間がなぜか無意味に感じることもある。
自分が楽しいと思えないと相手にも伝わらないんだなあ、、
私は調子がいいとつい天狗になるからこの言葉は頭の片隅にとどめておこう。「前向きでポジティブ」と「先を考えない」のは違うよね。
これは著者の行動力に圧巻した。外国の従業員に指示書を送り、商品が届いて伝わったかどうかがわかり、できていなかったらまた絵をかいて修正の指示書を送り…途方もない作業で革新のない作業。それでも自分の熱心な思いと従業員への寄り添いを全力で続けて何百キロの距離間でコミュニケーションをとる姿勢が本当に尊敬。自分のことは言葉だけでわかってもらえるだろう…とか、まあこれくらい伝わればいいか…とか、どうせ伝わらないかもなあ…と思わず思いを伝える。私も妥協して行動することをやめよう。
言葉だけでは伝わらない。百聞は一見に如かずとはまさにこのこと。
私も仕事で何かを伝達するときに、言葉だけで手っ取り場役伝えようとしてしまうときがあるが、図や表で画像を見せて伝えるだけでも全然伝わる度合いや理解度も変わるだろうなあと感じた。仕事にもどんどん取り入れていきたい。あとは日常の行動でも、耳で聞くだけではなく実際現地に行って実感するように足を運ぶことを面倒がらないようにしよう。
人間一人一人理解度も感性も考え方も脳の形・大きさも違うのは当たり前。だから自分の物差しではかることはやめる。なんでできないの?なんでわからないの?って思うのは自分の基準。人に求めてイライラしても仕方ないよね。わかってはいたけど、改めて勉強になる。
確かに。(笑)そういった表現は初めて聞いた。でもなんとなくわかる。
プライドって持てば持つほど視野が狭くなる。プライドを持つことは大切だけど、邪魔にならない柔軟さが必要で、目の前に壁があるときに「でも…」で始まる逃げや拒否となるプライドは必要ないのかもしれない。
何も考えずできる仕事や作業は時間がかかっても知れているが、自分の思いを乗せる作業は途方もない。自分でものを作ったり、思考を巡らせたり、案を出したり、自分に向き合う時間だったり、そんな時間は納得するまでとても時間がかかってあたりまえなんだ。そして思いが積もったものは人を動かす。「思いが何もありません」という商品はだれも買おうとしない。
私は過去に自分でチャレンジしたいことがあって大きな金額を投資し、行動したが、初めて数か月は「この投資したぶんのお金をどうやって元をとるか」しか考えることが出きず、結局投資をしたことを後悔はしなかったが、始めた本当の目的である「やりたいことをやってみる」を忘れて視野が狭く、義務感を感じて心が窮屈になった生活が苦しくて挫折してしまった経験がある。新しく何かを挑戦するにはそれなりに投資が必要だけど、一回使ったお金や時間を何とか回収しようと打算的に動くのはよくないと感じた。
それに前でも書いた、「他」を理由になっていた気がする。自分が「好き」「楽しい」と感じることが大切。
今の仕事にやりがいを感じない…向いていない…この作業は面白くない…そんなときでもきっと何かしら、ある一つの作業でもいいから「少し楽しいかも」「この作業はわくわくする」とひとつずつ「好き」を探していく。
マイナスのイメージや感情は増えていくほど今の現状につまらなさや苦痛を感じて、結局いいことない。せっかくだったら「好き」を発掘してみる。
心のどこかで不を感じたときは自分が正しいと信じることを表に出して、勇気をもって行動するほうがいい。
自分の個性や「正しい」「おかしい」と判断する意見は持っていい。社会の暗黙のよくわからないルールや、一般的に移行生きることが正しいなんて言うのに振り回される人生にはしたくない。自分は何がしたいのか。
それを考えたとき、私は昔から学歴、ステータス、収入、地位、名誉、見た目などにたくさん振り回されていたと気付いた。そんなものに左右されて自分をなくす人生はきっと死ぬときに後悔する。
ビジネスの話。安く仕入れて高く売る。心のこもったビジネスは、安くとも、利益が出るとやはりうれしいもの。当時ビジネスを始めた私はとにかく利益をなるべく多く出したい一心で高く売ろうと考えていたし、なるべく高コストのコンテンツを作ろうと必死で焦って突っ走ってた。それなりに短期間で利益が出たが、何も達成感がなかった。「心」がなかった。思いがこもったものを作る仕事をしたい。丁寧に生きたい。そう考えるようになった。
ビジネスで成功している人たちは、簡単に運よく成功したように見えたり、自分は考えていない周りのおかげだ、と本人が話しているかもしれない。そんな人でも、みんな何かしらめちゃくちゃ考えている。考えずに物事を成功できるものではない。周りにいる成功した人やすごいなと思う人はみんな見えていないだけでベクトルは違えどめちゃくちゃ考えて生きている。
最悪を想像することってネガティブ思考なんじゃないかと避けていたが、最悪な時期を思い出して、「あの頃よりまだましか」と自分の気持ちを持ち上げることもできる。確かに最悪な時が-100だとしたら、今は-30くらいだな、って考えるだけで少し気持ちが楽になるし、立ち直れる。光が見える。
-100を乗り越えた私なら巻き返せるな!って。
わかる。経験した。想像の自分はイケイケでキラキラしている。凡人とは違う、特別な力でも持っているかのような期待をしているが、次第に自分の実力を感じ始め、情けなくなったり恥ずかしくなったり、期待外れの自分に嫌気がさしてしまう。だからこそ自分をありのままみる力が必要。それがまだできなければ、自信を持ちすぎず期待しすぎない。
あの子は美人、あの人は育ちがいい、あの人は今の仕事で成功している、あの子は有名になってちやほやされている…他人をうらやむ事で自分を鼓舞できるのであればいい。でも実際は比較して落ち込む事や卑屈になる。それは自分の人生を好転するものではないし、自分と他人は全く違う場所で生活していて、違う学校生活を過ごして、全く違う家族に育てられ、違う食事をしているわけないのだから、人生も違うにきまっている。全然異なる方向に向いているベクトルを比較して辛い思いやうらやんでいるのはお門違い。
それなら今の自分にもっと向き合って、今の自分より少しでも進めたらいいんじゃないか、と考え始めてからすごく生きやすくなった。
これ面白い。会社のMTGでも、自由な考えを聞いても何も案が出てこないのに、○○に対してはどう思う?と絞って質問するだけでするする意見が出てくることが多い。
自分が大変な時って視野が狭くなって周りが見えなくなるし、他人の背景を差し置いて自分だけが大変な状況なのだと考えてしまう。でも実は隣の人は顔に出ていないだけですごく体調が悪いかもしれないし、向かいの人は昨日恋人に振られたばかりかもしれない。みんな何かしら大変なのかもしれないな、と考えるだけで少し俯瞰的に見れるようになるし、人に優しくなれるようになった。
ビジネスの話。何かを始めるとき人の力がどれだけ大切かを感じた。始めるときだけではなく、常に頭に入れるべきことは「人の役に立つ」ことを考える。自分本位のビジネスはうまくいかない。ギブ&テイクではなく、ギブ&ギブ。
でも、~だから仕方ない、という逃げの道を考えてしまう、それを伝えてしまう人は信用できなくなる。だって避けられない事情なんてこれから死ぬほど出てくるのに、そのたび言い訳される可能性が高いから。そんなときに自分に何ができるかを考える人じゃないと壁は乗り越えられないと私は思う。
私も仕事の商談でどうしようもないピンチに当たったとき、思わずこのタイミングを相手のせいにしてしまおうと思ったことがあったけど、まずは自分の落ち度を考え、自分に何が今できるかを考えた。結果商談はうまくいかなかったが、その経験は自分の学びと勉強材料につなげることができ、同じような機会で対処できるようになった。
確かに、私も無職でお金もなくうつ病で動けない時期があったが、そのころでも何とか生きていた。働いているときは「お金が無くなったらどうしよう」なんて考えていたが、いざなくなると日雇いでも働こうかと思えたり、障害年金もらうか、と国に頼ることも視野に入れたり、意外と何とかなった。
子育てをしたことがないから実際どうかわからないけど、確かに手間をかけてもらった温室育ちの私は、手間がかかる子供に育ってしまったような気がする。例を出すと、常に駅までお迎えの車が来ていたから、駅から歩いて帰るのが苦痛だったり。(笑)大学時代でも親のカードで買い物していた自分はお金を稼ぐ大変さを痛感するのは社会人になってしばらくたってからだった…「かわいい子には旅をさせよ」
ひとりでは絶対に生きては来られなかったのに、自分一人で生きてきたと思い込んでいた。自分で何とかやろう、周りに自分の思いを伝えるのは恥ずかしい。そう思っていたけど、もっともっと周りの人に助けを求めて素直に泥臭く生きてみよう。小綺麗に生き続けることなんてできないよね。
自分が見たものをただ「見た」だけで終わらせないで、周りの人の可能性を自分が関わって少しでも引き上げていく。少し周りが変わるだけでも自分もいい方向へ変わっていくはず。他人は他人だから、で常に別物と考えていてはいい方向へは進まないこともある。
本当にそう。結局自分の人生、舵を切るのは自分だし、周りに流されて終わるのも自分の意志になる。常に毎秒毎秒自分の「意志」で決めている。せっかくなんだから毎秒の無意識に決めてしまっていたり、つい流れで決めてしまっている「意志」にもっと集中して「やりたい!」と思えることに走ろうと思った。
個人の背負えるキャパシティは大小あるけど、全く背負わず進むよりは行動に起こしやすくなる。例えば、ダイエットしないといけないなあと思うなら先にジムを契約してしまう。まだ誘うか悩んでいる相手と行くチケットを先に購入してしまう。
そうするとせっかく契約したしジムに通うしかなくなり、ダイエットの一歩を踏み出せるし、チケットを購入したならもったいないし誘うしかなくなる。
考えすぎて行動しないより、いったん行動してしまったほうがいいと実感した。資格を取りたくて教材をたくさん買ったけど、勉強していくうちにこれは自分のやりたいことではないと気付けた。イラストを描きたくていろいろ講座を調べていたが、どこにも習わず結局とにかくipadで絵を描き始めた。そしてら意外と講座を受けずとも独学でも描けるようになった。やってみないとわからない。いったん行動して一生懸命すると自ずとすべてのことが自分の人生の糧になった。
この本を読んで「やりたいことをやること」=わがままでも無謀な挑戦でもなく、「自分の人生を真剣に歩んでいること」なんだと気付けた。たった一度の人生、やりたいなと思ったことは行動に移していこう。そうすることで自分らしく生きて、周りの人にも優しくなれて、自然と「生きていてよかったな」と思える日が来るのかな。
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