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梅田駅で出会った『念力おっちゃん』の話

これは高校2年の時の話である。


僕は大阪のK高校の硬式野球部に所属していた。

いつものように練習が終わり、京都方面から電車に乗り、夜9時ごろに阪急梅田駅でおりた。
すると後ろから、


『君!K高校の野球部の子やろ!』


駅の中にもかかわらずめちゃでっかい声で呼ばれた。
なにか怒られるのかなと思いながら。


『はい…そうです。。。』


そう言いながら振り向くと、そこには細身で小柄な年齢が60代くらいのいわゆる"普通のおっちゃん"が立っていた。


『K高校って10年前くらいに甲子園出たやろ!』


『はい…でましたよ。』


『あれはわしの念力のおかげや!』


『………はい?笑』


訳がわからなかった。


また大阪の厄介なおっさんに絡まれたと思った。しかし、のちのち少しだけ、この念力話が現実味を帯びるのである。


おっちゃんは話を続けた。


『昔、君とおんなじようなK高校の野球部の子に会ったんや、んで念力の話してやな、
そしたらその子が、"念力、うちのチームにも送って下さい!"って言いよったから、念力送ったんや、そしたら案の定甲子園でよったわ!ガッハッハ!
でも最近ええ成績残してないやろ?』


たしかにそれ以降、夏の甲子園には出ていなかった。
行ってもベスト8、16がいいところだった。

僕は、"はい、そうですねー"と返事をすると、


『それはわしが念力送ってないからやー!ガッハッハ!』


この茶番はいつまで続くんや。
そうは思いながらも、


『え、なんで念力送ってくれないんですかー?』


そう聞くと、


『それはやな、甲子園終わったあと、またその子と会ったんや、その時、"おっちゃんの念力のおかげで甲子園出れたやろ"ってゆうたら、
"おっちゃんの念力なくても出れたわ!"って言いよったからそっから腹立って念力送ってないねん!』


へー。
とは思いながらもそのころにはおっちゃんと話すことが少し楽しくなっていた。

そこからもおっちゃんの話は続いた。


『わしの念力のおかげで成功した奴はよーさんおる!』

『藤浪にスライダー教えたんはわしや!』

『ピートローズと友達で一緒にアメリカで写真も撮った!嘘じゃない!一億払える!』

『このあとな尼神インターと飯行くんや!渚は美人やけど誠子はぶっさいくや!』


などなど。

そして気づけば夜10時を過ぎていた、軽く1時間弱話していたのだ。


『すまん!兄ちゃん!気持ちようなってこんなに喋ってもうた!お詫びにジュース奢るわ!』


そう言ってくれたので売店に寄り、
野球部のルールでジュースはダメだったので、
ポカリスエットを買ってもらった。


『そんなんでええんかいな』


おっちゃんはそう言いながらポカリスエットを買ってくれた。
最後におっちゃんは、


『君、将来何になりたいんや?』


そう聞かれたので、僕はとくに何も考えず、


『プロ野球選手になりたいです!』


と言った。


『そうか!念力送っとくわ!』

おっちゃんはそう言ってくれた。





『ほな、電車乗って尼神インターと飯食ってくるわ!』


別れ際、僕はおっちゃんに


『K高校にもまた念力お願いします!』


と言った。
おっちゃんは"まぁ考えといたるわ"
というような顔をしながら電車に乗り、去って行った。




"おもろいおっちゃんもおるもんやな〜"とただそれだけだったのだか、冒頭でも言ったように少しだけ、念力が、少しだけ、現実味を帯びるのである。


というのは、
この年、野球部は何年かぶりかの大阪大会準優勝

さらに当時ほぼ無名だった尼神インターは今では全国ネットの売れっ子芸人

と、おっちゃんの念力(しらんけど)の効果で(しらんけど)結果を残しているのだ!


と、言うことは僕は将来プロ野球選手になるらしい。


今、大学ではソフトボール部に入ってる僕が。
軟式の草野球をやってる僕が。
K高校のみんな、僕はプロ野球選手になるみたいです。




あの日飲んだポカリスエットの味は忘れない。





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