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山本兼一「修羅走る 関ケ原」を読んで、関ケ原の合戦とは何だったのかを想う
関ケ原の合戦について、遠い昔にそんなことがあったくらいしか知識がなかった。
時代小説をむさぼり読むようになって、2年半過ぎた頃に読んだ本書。
特に池波正太郎の作品は、戦国時代、江戸時代、幕末、それぞれが面白くて、自然に日本の歴史に興味を持つようになった。
目についたものから読んでいったので、時代背景の順番はバラバラ。
1冊、1冊は点でしかなかった。
ところが、和田竜さんの「のぼうの城」を読んだあと、今回の「修羅走る 関ケ原」を読んだことで、これまで読んできた点の作品が、ジグソーパズルのようにつながったのだ。
とても恥ずかしいのですが、「修羅走る 関ケ原」を読み始めて、関ケ原の戦いが、徳川家康VS石田三成だったことを知った。
「のぼうの城」を読んだばかりの西寄りの私は、ウソ!?石田三成じゃ負けるにきまってる!
秀吉子飼いの家臣である加藤清正、福島正則はどうしたの!?
この2冊の作家さんは山本兼一さんと、和田竜さんで別です。
そして、100冊くらいは読んできた池浪正太郎の作品。
ちゃんとつながって、関ケ原の合戦の全貌がぼんやり見えてきた感じ。
だから面白いったらなかった。
秀吉は息を引き取る前に、5人の家臣(徳川家康、前田利家、毛利輝元、小早川隆景、宇喜多秀家)を枕元に呼び、自分が死んだら嫡男の「豊臣秀頼」が成人するまで5人で面倒を見ることを誓わせている。
しかし、家康は天下を取るためにあの手この手の策略で、天下分け目の関ケ原の合戦を仕組んでいく。
石田三成の傍若無人を許せなかった加藤清正、福島正則らを知っている家康は、あくまでも「豊臣を守るため石田三成をうつのだ」と、東軍につかせるよう手をまわしていた。
「修羅走る 関ケ原」は、合戦の日、その一日だけを、それぞれの武将の視点で書かれている。
あの芦田愛菜ちゃんが1番好きな武将「大谷吉継」の章もある。
石田三成の盟友だった大谷吉継は、病気で体も思うように動けず、目もほとんど見えないながら西軍で戦った。
負けを判断し、腹を切る前に、東軍についた福島正則に書状を託す。
次は、東軍についた福島正則の章の一部
くれぐれも
書いてあるのは、ただそれだけだ。
天に向かって咆哮したかった。大きな叫び声を上げたかった。
徳川内府が、このまま力を持てば、豊家をどのように冷淡に扱うかー。
それを思えば、心が千々に乱れる。
ーーあの三成めが・・・
もう少し殊勝な男だったら、こんな戦いをせずにすんだのだ。
そして、石田三成が、自分の首を正則に差し出しても、なんとしても徳川内府のたくらみを阻みたいという思いでいたことを福島正則は知る。
なんてこと、豊臣を守りたい思いは同じだったのに。
加藤清正、福島正則が東軍につかなかったら家康は関ケ原で勝てなかった。
東軍が勝った後、正則は家康に詰め寄る。
大阪城の秀頼と生母の淀殿の処遇を、末代まで、未来永劫そのままに、天地神明に誓ってまことでござるな。と、家康に約束させる。
加藤清正、福島正則は結局、毒殺されてしまうのに。
そして、ご存知の通り、大坂夏の陣、冬の陣へ・・
本書を読み終えて、改めて政治の残酷さを痛感した。
義を貫き、まっすぐな人物は潰されてしまう。
でも、家康は騎乗して槍を持って自ら戦うだけ立派。
今の政治家は、自分たちの利益だけを追求し、正義を踏みにじる。
生死を賭け、修羅にならざるを得なかった武将たちの、それぞれの章は「義」と「利」の狭間で揺れ動き、どの章も涙なしには読めない。
秀吉の養子であった、主君小早川秀秋が西軍から東軍へ寝返ろうとするのを、命がけで阻止しようとする松野主馬は、深く印象に残った。
死の前日まで執筆していたという山本兼一さんの遺作。
修羅となった武将たちの死生観が胸を打ち、感動的な作品でした。