気付いたらカメラに熱中していてライカ使いになっていた話

人はなぜ生まれてなんのために生きていくのか

普遍的な問いだろう
受験、就活、仕事、転職、結婚、子育て、介護等ライフイベントがどんどん進んでいく中でそんなことを考える余裕はなくなる

色々な解釈や捉え方があるが、「幸せになるために生まれてきた」が一番しっくりくる

では幸せとは何か

自分の好きなことを好きなだけ掘り下げられる環境にあることは幸せだと思う

自分の場合、写真を撮ることが好きだった
最初はガラケーでそこからコンパクトデジタルカメラにステップアップして、20代前半でフルサイズのCanon Kissシリーズを買い、さらに質を求めるためにSony a7siiiにレベルアップして自分の表現を追求するためにLeica Q2にたどり着いた

筆と一緒で自分の好みの表現を探求していく
コントラストがあって陰影の表現がしっかりしていて首にずっとぶら下げていても苦痛ではない、マクロモードへのギミックも男心をくすぐる

良い写真とは構図が良いことや背景整理ができていることはもちろんだが、”よくその瞬間にカメラを持っていた”というものが多い
そういう意味ではコンパクトなカメラの方が持ち出しやすくずっと持っていられる確率が高まる

結局機材を通して自分探しをしているのだ


どうしたら写真が上手くなるか?
楽器でメロディを弾くのがうまい人は歌心みたいなものがある
繊細で抑揚があり強弱をつけるのがうまい
カメラも似ていてどういう構図が良いか、縦か横か、どこまでをぼかしてどこまでをボケさせないか、マクロで寄った方が綺麗に撮れるか?等を一瞬で考えながら撮影する


スマホで写真が撮れる時代にあえてカメラで写真を撮る
写真は魔法であり空間を切り取り、過ぎていく過去を形に残す道具である
自分の好きな機材で好きなように空間を切り取ることができる
確かにそこに実在したことを形に残すことができる
今は当たり前の風景でも何十年か後に見返したときにまた違った思い出となる。
この時代に生まれてよかったと思う


どのジャンルでも”もっと上手くなりたい、どうすればもっとよかったか”
自問自答していく人は伸びていく
自分がもっと上手くなりたいというものはいくつあるだろうか

今日も愛機のLeica Q2を携えて自分が心動いたものを撮影する
何気ない日常は当たり前のようで当たり前ではなく尊いものなのだ


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?