幼少期~現在の振り返り
※このnoteは、私「さや」の生きた証です。自己満足、乱文乱筆失礼いたします。
※今後の投稿記事も含め、一切の無断転載を禁じます。
※いじめに関する記載があります。
こんにちは、さや(@ lemonede0901)です。
もうすぐ休職期限がいよいよ迫ってきました。。嫌だ…←
なお、体調は上がったり下がったりです。
最近はヤクルトを飲み始めたり、青汁を飲み始めたり、白湯を飲んでみたり、おすすめしてくれたサプリを寝る前に飲んでみたりして、体調に気をつけてはいます。
さて今回は、幼少期~現在について、思い当たることを書き出してみようと思います。
多少ぼかしていたり、あやふやだったりもしますが、備忘録として。
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①幼少期
親に聞けば、口を揃えて「手間がかからなかった」だの「わがままを言わなかった」だの返ってきます。
確かに、私自身あまり駄々をこねた記憶がありません。お菓子も好きじゃないし。
幼い頃から両親は共働きで、鍵っ子ではなかったものの(祖父母がいたため)ほぼ一人でした。
私は一人っ子です。兄弟もいないため、比較的「普通」に育っていた気がします。
しかしながら、この頃からすでにACの片鱗はあったのかもしれません。
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②小学校
こちらもあまり記憶にありません。爆 女子よりも男子とよく遊ぶ子だったかなと思います。
特別支援学級の子とも、分け隔てなくよく遊んでいた記憶があります。
宿題も面倒だなと思いつつ期限までに出してたし、卒業式では一番泣きました。
クラブ活動もしてました。確か漫研みたいな…笑 オタクの片鱗がこの頃からありましたね。
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③中学校
ここから黒歴史の始まりです。いじめが始まるのです。
大人しくて若干オタク要素があった私は、すぐにターゲットにされました。
いじめられてから、あからさまに成績は右肩下がりとなり、志望校の合格も危うくなったな。
おかげさまで、いまだにギャルの子たちを見ると縮こまってしまいます…陽キャ怖い。
部活は文化部で、部長をしていました。後輩を束ねて部活をしていた時間は楽しかったかな。
やんわり自律神経失調症の症状が出ていた気もします。
対人恐怖もありました。いじめられたことにより人が信じられなくなり、人が怖くなりました。
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④高校
何とか志望校に入ったはいいものの、いじめっ子もまさかの同じ高校でした。
つまり、高校でもいじめは止みませんでした。椅子を蹴られたり、プリントを奪われたりしましたね。
高校二年の途中から、ほぼほぼ保健室登校でした。便所飯も経験済みです。
テストもほぼ保健室で受けていましたし、スクールカウンセラーの方にもお世話になっていました。
保健室登校→授業に何とか出る→耐え切れず保健室→熱が出て早退、みたいなループ。
保健室登校している子は他にもいて、何人かと話すことはできてました。
ここでまず一回目の明らかな精神的症状が出ます。
自律神経失調症(主に発熱と腹痛)、抑うつ、きしねん強め。
よくベランダから自分が中庭に落ちたらどうなるか…と考えていました。
拙い遺書を書き置きし、なんとか登校したこともあります。しにたくて。
いよいよだなという感じで、最初のメンクリに罹りだします。
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⑤短大
高校とは違い校則などないし、偏差値も低めのゆる~い学校だったので、のんびりできました。
おかげで少し症状がよくなり、この頃はほぼメンクリ行ってない気がします。
でも、トイレとかでたまにアムカしてましたね。カッターで薄く薄くです。蚯蚓腫れみたいな。
医務室の先生にいつも包帯を巻かれに行ってました。しんどくなったら横になってみたり。
まあ高校のときに比べたらきしねんは弱かったし、あまり鬱の症状もなかったかな。
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⑥社会人
新卒で入ったブラック企業時代、私は祖父母の家での介護のお手伝いもしていました。
作ったご飯をひっくり返されたり、玄関に仁王立ちされ謎の叱責を受けたり。
泣きながらヘルパーさんの派遣を訴えて、ようやくヘルパーさんが来てくれたり、嫌々ながらも祖父母がデイサービスを利用しだしたりしていた時期かな。
ブラック企業で疲弊しているにも関わらず、更なる疲弊で毎日ヘトヘトでした。
20~25歳までのいわゆる遊び盛りの世代を、ほぼほぼ仕事と介護に捧げていました。
この頃に社会不安障害と診断され、第二のメンクリに通い出します。
また、自律神経失調症の症状もあったため、そちら治療も並行していました。
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ブラック企業を辞め、派遣で入った工業系の会社でもマウンティングを受けます。
なんでこう、女性ってマウンティングしたがるんでしょうかね。。
学生時代の嫌な記憶を思い出してしまい、2か月で契約を終えました。
この頃は介護といっても確か祖父母二人とも施設に入っていたため、
家で介護するよりかは気が紛れていたと思います。最初のネコチャンも来ましたしね。
この頃は適応障害と診断され、第三のメンクリへ通い出します。
このメンクリが、このあと長い付き合いとなるヤブです。爆
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派遣の仕事を辞め、また派遣で何社か働いては短期離職。。
そのあと、またブラック企業に契約社員で入社しました(家から近かったんだ…)
仕事内容自体は電話業務がなくなってからは、すごく自分に合っていたかなと思います。
ですがこの職場では、いわゆるカサンドラ症候群に陥っていました。
おそらくASDの方の尻ぬぐいをずっとしていて、ある日プツンと切れて泣きじゃくりました。そして、この仕事も辞めることになります。。
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現職の話になります。似たような業種で探していたところ、偶然受かった感じです。意識高い系企業(笑)はとても苦手なのですが、まあ妥協して入社しました。
様々な経験(というより部署異動祭り)をさせていただいた結果、病気になりました★
・カサンドラ症候群(おそらくASD+ADHD)
・PMS
・生理不順
・水疱瘡
・ストレス性胃炎
・自律神経失調症
・食中毒
・燃え尽き症候群
・適応障害
・社会不安障害
↑これだけの症状を、5年間で経験しました(適応障害/社会不安障害は現在も)婦人科・皮膚科・内科・心療内科・歯科…色んな病院のお世話になる羽目に。。
特に水疱瘡は、過去一つらかったです…大人になって罹るとやばいです。。
これもストレスが要因と言われ、もう納得しかなかった…苦笑
高校時代に比べたら、きしねんは弱めだけど確かにありました(今もたまにあります)
かなり左に傾いて歩いていたり、めまいがしたり、もう色々体が悲鳴を上げていました。そして2021年2月、休職となります…
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三十路過ぎたある一人の女の身の上話です。苦笑
幼少期から振り返ることがなかったので、これを機会に書いてみました。