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病院の日、友人と10年ぶりに再会する

朝食作りながら水曜日のダウンタウン(きしたかのの回)を観て泣く。病院の日の朝は、映画とKindleを数冊ダウンロードしておく。

今日は三ヶ月に一度のMRI診察。
病院の待ち合い室には、怒っているひとがかならずいる。鍼灸で教えてもらった足指運動をする。置き針のおかげか足の付け根の痛みがなくなった。

時間のつぶし方ばかり上手になる。私はまた同意書を持ってくるのを忘れた。健康体に憧れてもなお、病院に併設されたローソンの、新作おろからぽんに視線が奪われる。
「愚か、愚か、ああなんてなんて愚かなの!」
これ、大島弓子の『毎日が夏休み』だったっけ。

名前を呼ばれる。あっ!と急いで置き針を剥がし、合皮の鞄に貼っつける。長い長い待ち合いも慣れたくはないが慣れてしまった。
「ごめんなさい痛いね〜」と言い、針をブッ刺す看護師は、安定感のある黒ブチ眼鏡を選ぶ。そんな余裕も出てきた。

MRI、きっとこれはダフトパンクの新作、私はきっとダンサー。(ドスンドスンドスンミォンミォンミォン!)
初めてMRI検査した時は、造影剤に体がびっくりして、私はぽろぽろと泣いた。今じゃ白い筒の中、こねくり回して短歌を作ろうとしてる。
最近、鈴木ジェロニモという芸人さんを知り、短歌の理解がジュワ〜と沁み渡った時、日本人に産まれてヨカタね〜と思った。短歌はリズム。世のなかのいい部分だけ注出する技術。私もそんな風に世界を観てみたい。

15時には病院は終わり、これから10年ぶりにミトチャンに会う。「夕方ごろ」といういい加減な待ち合わせで、プロントで2時間つぶす。ミトチャンとは学生時代、バイト先でもらったパンを分け合ったり、布をあげたり、つるつるの木をくれたりした。
仲がいいと思っていたのに、ある時メールをしても手紙を書いても返って来なくなり(要は切られた)、10年間何の音沙汰もなかった。メアド変更も、結婚や出産の報告もなかったうえでの再会。私が病気をしたから。たどたどしい会話をしながら、都会でしか食べられないスパイスカレーを食べた。

そして互いの近況報告。この10年間で起きたこと。
はじまりは不調を治したいだけだった。そこから先駆者のもと、ミトチャンの故郷でもある土地へ移住したが、クビになり「ジャスコで働けばいいじゃん」とか言われ、不調はさらにひどくなり挙句、癌になったとは皮肉な話だよね。ははは。正確に言うと違う。私が癌になった本当の理由を私は知っている。私が死を望んだからだ。取り消したい。取り消しは効くでしょうか、守護霊さま!と思いながら生きている。
ミトチャンはふたりの息子と旦那と、透き通った海辺の町で暮らす。ふたりの息子はフリースクールに通い、旦那とケンカしながらも中古で買った家をリフォームしてるのだそう。夏のうちに木の実を漬けて冬にシュトーレンを焼くのだそう。

ミトチャンは職を転々としていて「私って飽きっぽいんだよ」と嘆いていたけれど、それって流動的に動ける証拠じゃん。飽きっぽいを誇りに生きろ!と伝えた。収入についてもぐちゃぐちゃ言っていたが、私には、息子とともに自然の中で暮らす彼女が眩しくてしょうがない。健康な人はどこか願いごとが満たされてはいけないって思いがあり「悩みごと」をこしらえているようにすら見える。
いや、そうだった。私たちって、悩んでいないことを悩んでいるように話してしまう習性があるんだった。またいつか会いたい。ミトチャンもそう思ってくれるだろうか。ハグして別れる。

帰りの電車内、鞄に十字マークをつけていても、若者やサラリーマンはイヤホン中毒で、スマホに夢中な素ぶり。日本人、皆、疲れすぎていて「アンタらじゅうぶん病んでるよ」と思いながら立っている。
仕事ってつらいよね。はいはい、そういう社会だね。私だけが死ぬわけではない。いつか皆死ぬことを忘れている。

ミトチャンおススメのドラマは、主人公が子宮頸がんで死んでいく話だった。(私は子宮頸がんで治療中の身である)一体どういう神経だろう?と思ったけれど。まあいいか。健康な友だちが病気の人の気持ちがわからないのと同じように、私も健康な人の気持ちなど分かっちゃない。

結局10年前、なぜ私から離れたか、関係を意図的に切ったのか、聞きたかったけれど聞けなかった。要はミトチャンも生に傲慢で私は執着深かったのだと思う。

最寄り駅 袖振り合うは健康体 残りの人生やさしく生きたい

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