【 】文章を書く意義─『20代で得た知見』より
久しぶりの投稿になります。
もう何ヶ月もnoteを開いてもいませんでした。たまに、気になる記事があってリンクを開いたらnoteだったということがあった時くらいしか、noteの「の」の文字も見てなかった。
なのになんで今、急にnoteを書こうと思ったのか。
なんだか、「自分で作りだす」という行為をしたくなったから、です。
自分で何かを生産する喜びを感じたくなった。
この喜びは、書いた時には達成感として現れます。
そして、数週間後、数ヶ月後に、「あの時こんなことを思ってたのか」という発見として登場します。
半年も経てば、「あの時の自分、今の私のためにこんな言葉を残したんじゃないかしら?」と思うほど良いことを書いてるような場合すらあって、本当に自分に感謝したくなります。
今は自分に対して感謝も嬉しさもいまいち感じられない自己肯定感だけど、こうやって文章に記しておけば、いつかの私が、今の自分に感謝をしてくれるかもしれない。、肯定してくれるかもしれない、そんな期待が「文章を書く」という行為にはあると思います。
この文章も、何も気取ったことを書こうだとか、誰かの目に止まって褒めて欲しいっていうよりは、とりあえず書きたいから書いた、って結構強く言えます。そりゃ評価されたら嬉しいけど。笑
私はそもそも文章を書くことが何にも変え難い幸福って訳じゃないし、できることなら、自分の体や顔で食っていけるだけの価値が欲しいです。
だから、こんな風に、自分の脳みそを絞って文章を書いて、自分から切り離されたものが評価されるかもしれない環境はあんまり自分の趣味じゃないと思う。
でも、望まずとも「文章を書く」という行為は、私が出来ることのひとつだし、それを望んでくれる人がいる(少なくとも未来の私という1人と、私のことを応援してくれる友人数名とか)から、まあ書いても良いかなって思える。その上無料だし。
使うのは時間だけだけど、私の多少の時間をティックトックとかで消費するために使うだけよりは、たまには生産してみるのも、良いと思ったのです。
さて、最後に。
今回私がこの文章を書くに至ったきっかけのひとつとして、「20代で得た知見」という書籍があります。
私はTikTokでこの書籍の存在を知ったのですが、帯に「大反響20万部突破」と書いてあることからすると、きっとご存知の方も多いのでは。
この本の存在を夜中のTikTokで知った私は、すぐにAmazonでぽちりました。中古を買おうかと思ったら値段もあまり変わらなかったので新品にしたら、もう2日後くらいの今日には届いたのはラッキーでした。
私はどこ開いても、どこから読んでも2.3ページにひとつは刺さったり唸らされる言葉が多くてすごく付箋だらけにしながら読んでます。
これ、色んな人の得た言葉が並べられてる本で。
結局作者の人物像がそういや掴めて無いままだわ。と、終わりかけの今気がついたのでした。
20代に入ったばかりの私はこの本を読みながら「まって、10代のうちに知りたかったんだが??」などと思っていますが、10代の時にはこの書籍はなく、仮に手に入って読んだとしても、今のようには刺さらないと考えるより正解がない。そもそも、この本を手に取らなかったかもだしね。
たぶん、私が30代だったら、「20代のときに…」って思うし、40代だったら「あと10年早ければ…」って思うし。いつだって今がいちばん若いとはそういう事か!という訳で、この本に遅いも早いもないです、是非に。
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